経済学における思想弾圧
2011.04.19

日 本においてずっと主流だったのがマルクス経済学であるというのは事実だ。近代経済学(日本以外の国においては単純に経済学と呼ばれる)が自分たちの学会を 作ったのはマルクス経済学のずっと後だった。この流れは今も続いており、近代経済学の日本経済学会とマルクス系の理論経済学会に分かれている。基本的に両 者の間に交流はない。

この部分を調べていたら面白い文章が出てきた。マルクス経済学を勉強できる大学はどこですかという学生への回答だ。

引用

http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa898237.html

い まどきマルクス経済学(マル経)を勉強したいという高校生、ちょっと珍しいと思います。日本の経済学は普通、マルクス経済学と近代経済学(近経)の2つに 学派が分かれます。戦後しばらく2つの学派は拮抗していましたが、旧ソ連・東欧の共産圏の国々が体制転換してからは、マル経の影響力はだいぶ弱くなりまし た。

しかし、今日でも有力なマルクス経済学者はいますし、経済学のなかでも社会思想史、経済学史、国際経済学、開発経済学、進化経済学な どの分野では、マルクス経済学は依然として今後が期待されます。マル経はたいていの経済学部で開講されています。むしろ開講されていない大学のほうが少な いくらいです。はっきり近経のみと自他共に認めるのは大阪大学経済学部ぐらいでしょうか。

マル経とはどんな学問分野なのか、まずは入門書 レベルの本を図書館で借りてきて読んでみてください。推薦本として、これは特にマル経について論じた内容ではないのですが、伊藤光晴著『君たちの生きる社 会』を薦めたいです。この本を読めば経済学者が世の中をどう捉えるかが、わかると思います。なお、参考URLは暇つぶし程度に見てください。まず櫂より始 めましょう。

引用終わり

なるほど、大学を卒業した後、様々な経済学に関わる素人論争をしたが、いつも話がかみあわなかっ た訳だ。日本の大学でマルクス経済学を全く教えないのは私の出身学部だけだったのか!旧商業学校系の一橋や神戸が世間が考える以上にマルクスに偏っている ことに関しても私はずっと不思議に思ってきたのだが、上記説明が正しいなら日本的には「おかしい」のはむしろ阪大経済学部のようだ。しかしである、今時、 中国の大学でも主流は自由主義経済学だ。つまり日本は中国以上にマルクス経済学が好きということになる。

(阪大経済学部でマルクス経済学は学問じゃないという方針を1970年以降、進めたのが本間正明であり、その相談役あるいは兄貴分が蝋山昌一だった)

上 の2004年の回答もソ連と東欧の崩壊にともないマルクス経済学が日本で勢いを失っていったと書いている。だが、何十年も日本で主力だったマル経学者を首 にすると、その人の弟子やゼミの学生みんなが失職してしまう。そこでマルクスという名前だけを隠して経済史などの講義担当にさせたというのが私の理解だ。 正直なところ、現時点においても「心はマルクス」な経済学者と自由主義経済学者(近経)の割合は良くて50:50なのでは無いだろうか?

と ころで私は山口県という日本でも有数の保守的な県に生まれ育ち、関西に移った時に日教組による手ひどい「弾圧」を受け、大学も「マル経を勉強したいものは 今すぐ退学届けを出せ」という考えだったので、当然ながらソ連・東欧の崩壊によりマルクス経済学がただの屁理屈であると実証されたことを喜んだ。だが、こ こで考えなければいけないのは、むしろマルクス経済学が屁理屈であると証明されたことで傷ついた膨大な人々である。マルクス思想は経済学のみならず法学を はじめありとあらゆる文系学部に浸透していた。一生懸命、受験に励み、合格した大学で教えられた「学問」が無価値であると宣告された人々のショックは容易 に想像できる。

他方でソ連や東欧が崩壊したのは事実だから「手法としての近経」は確かに普及した。問題は彼らの心が以前としてマルクスに 留まった点にあるのではないかと思う。つまり大脳は近代経済学だが小脳や中脳はマルクスというおかしな状況が生まれた。これがまさに冷戦終了以降の日本経 済と社会の迷走と効率低下につながったと私は考えるのだ。つまり理性としては近経的になったものの、行動を促す根本的な情動はマルクスあるいは社会主義の ままだったのだ。そうした考えは財務省と日銀にも残っているようだ。つまり採用する手法は全て近経手法なのだが、根本的な考え方が「マルクス」なのだ。

冷戦後、中国が共産党独裁のまま疑似市場経済に移行し高い成長を遂げたことが「彼ら」のなかにあるマルクス衝動に火をつけたようで、異様なまでの中国礼賛が始まった。確かに欧米も中国礼賛だったが同時に常に批判的な姿勢を保ったのと好対照をなす。

つ まり私の考えでは、大学卒業までマルクス経済学(≒社会主義?)で育った人々がソ連と東欧崩壊で自分たちの思想的柱が崩れたことに耐えきれず、表面上は自 由主義経済学を(手法として)受け入れながらも、心中ではマルクス復権を狙っていた。そうした復権運動の最初の段階が共産主義国家中国の経済成長であり、 第2段階がサブプライムに端を発する自由主義経済の破綻ではないかと私は思うのだ。

つまり脳のある部分は右に歩けと指示を出すのだが、脳の別の部分は左に向かえと指示を出すのが冷戦崩壊以降の日本社会だった。当然ながら、そうした分裂した思考様式のもとで社会効率が期待できる訳が無かった。

1 つの例として出すが、阪大社研という日本で最も論文生産性が高い研究機関が文科と恐らく財務省により「レベルが低いから廃止せよ」と2002年に通知を受 けた。つまり経済学に関する限り、政府による思想弾圧を受けたのは自由主義経済学なのだ。これに関しては今も論文生産マシーンである梶井厚志の表明があ る。

http://www.kier.kyoto-u.ac.jp/~kajii/future_of_shaken.htm

再 度、強調したいが日本において弾圧された経済学はマルクス経済学ではなく自由主義経済学である。それは政府(財務省+文科)が、日本で最も論文生産性の高 い組織をレベルが低いと「評価」したことに如実に表れている。だが梶井厚志の言う論文生産性というのは近代経済学での論文生産性であり、マルクスも含めて 見れば確かに「レベルが低い」と見なすこともできる。

財務省をはじめとした経済官僚は手法として近代経済学を使用しているが、その「心」あるいは「魂のよりどころ」は連綿としてマルクスにあるのだろうか?

いずれにせよ日本において政府により弾圧された経済学はマルクス経済学ではなく世界標準の近代経済学なのだ。これは事実である。