何故、音楽は美術より劣る芸術なのか?
2011.04.20

私 自身は美術にたいして興味ないし、音楽が芸術であろうとなかろうとどうでも良いという考えなのだが、欧米において美術のほうが音楽より上位の芸術であると いう考え方があるのは事実だ。artと言えば、狭義には美術(fine art)であり音楽は広義の芸術に分類されている。ひょっとしたらどこかの美大の 先生がキチンと説明されているのかも知れないが、ここでは自分の考えを書いてみよう。

美術の代表として絵画を考える。この時、画家は絵を 完成させれば作業が終わる。その絵を見た人々がどう評価するかは別にして、作品としてはそこで終わりである。つまり評価対象として固定化された具体的な物 がある。これは現在のポップ・アートであるマンガでも同じだ。例えば鳥山明の作品は芸術かどうかという議論をするのにも具体的な対象がある。

対 して音楽においてハイファイな録音が可能になったのは比較的最近だ。録音技術が無い頃はどれだけ優れた曲を書いても、それは生身の人間により演奏されては じめて評価が可能になった。クラシックにおいて非常に厳格な技術が要求されるのは事実だが、生身の人間が演奏している以上、全く同じ演奏が再現されること はありえない。他方で楽譜というのは曲のエッセンスを抜き出しただけだから、それをいくら眺めても感動の涙がにじんでくるということはない。つまり絵画と 異なり、具体的な評価対象が無いのだ。あるいはヴァリエーションがありすぎるというべきか。

意外とこれが理由なのではないかと私は思う。 絵画には鑑賞者が鑑賞・評価できる具体的で唯一の対象物がある。対して音楽の場合、Aさんの聴いた演奏とBさんの聴いた演奏が全く同じであることはありえ ない。芸術として評価しようにも、Aさんの意見とBさんの意見が異なるのは演奏ムラのせいかも知れない。絵画と音楽が芸術レベルで全く同じであっても絵画 の場合は唯一の評価対象があるが音楽の場合は録音技術の欠如により唯一の評価対象を作れなかった。それが歴史的な芸術としての音楽の低評価につながったの ではないか?

今は録音技術が大きく進化したおかげで唯一の評価対象物(CDやDVDなど)を作成できるのだが、聴衆は依然として生演奏を 求める。どのジャンルの演奏家でも良いのだが、新しいアルバムができましたという記者会見をすると必ず生演奏の予定を聴かれる。他方でマンガ家もテクノロ ジーの進化(アドベ・イラストレーターのようなPCソフトなど)により大きな恩恵を受けているのだが、彼らが実演をして自分の実力を示すことを誰も要求し ない。何故ならマンガが印刷された時点ですでに作品として完成していると見なされるからだ。

今の時代、録音物を再生する良い環境があれば別にコンサートに行く理由は無いように思えるのだが、現実問題として自分が好きな演奏家の生演奏を聴くのは楽しい。そして演奏家側もライブをやらないとお金にならない。

つ まり音楽は現実において常にオーディオ・ビジュアル(録音物+生ステージ)な存在であり、良い録音物を出したからそれで終わりとはならない。そしてライブ をやるというのは芸術というより芸能行為である。そしてライブ・アルバムが出されるとファンは「スタジオ録音と比較して演奏がドウタラコウタラ」と言い出 す。評価対象が混乱する。

美術はビジュアルな作品なのだが、音楽は実際には常にオーディオ・ビジュアルな存在である。音楽は総合芸術であると言えばそうなのだが美術のようなピュアさが無いのも事実だ。

つまり録音技術の進化に関係なく、音楽は過去においても現在においても常にオーディオ・ビジュアルな総合芸術であり、美術のように「純粋な存在」に成り得ない。これが現在でもartという英語が最初に意味するのが美術である理由ではないかと私は考えるのだ。