アスパルテームと精神障害者の苦悩
2011.06.08

砂 糖は何故、甘いか?それは砂糖が舌の味覚細胞(味蕾)に触れた際に、何らかの情報セットを作り出し、それが脳に神経細胞経由で送られた時、脳がその情報 セットを「甘い」と解釈するからだ。ならば別に砂糖でなくても、砂糖と同じ情報セットを生み出す物質を作れば甘いと感じるだろうというのが人工甘味料の原 理だと私は理解している。

そうした人工甘味料の中に私が良く飲んでいるコーラに使用されているアスパルテームがある。別にアスパルテーム に愛着を持っている訳ではない。もう少し砂糖に似せることはできないのかと思う。だが砂糖代替品として最低限の水準はクリアしているので私は文句を言わず 飲んでいる。飲む理由は本物の砂糖が入ったコーラを飲むことにより糖分の取りすぎ、特に糖尿病になることの方を恐れているからだ。

ここで言いたいことは、脳が甘さを直接判断しているのではなく、脳に神経細胞経由で送られてくる情報セットから甘さを認識しているという事実である。

話 は代わり、障害者の不幸度である。不幸度はこの場合、苦しみの度合いをさすことにする。私が見るところ精神障害者の苦しみは身体障害者の苦しみより大きい と思われる。身体障害者が笑みをみせる時、それは健常者の笑みと変わらない。だが精神障害者が希に見せる笑みは常に不自然に陰っている。

だ が世間の同情は身体障害者に集まるようだ。まず手や足が無いという形で障害が目に見える。身体障害を別にすれば普通の会話も可能だ。精神障害者の障害は見 えない。さらに障害なのか怠け癖なのか異常性格なのかもわからない。さらに「心が弱いから鬱病になるのだ」という精神論がある。また精神障害者との会話は 楽しくない。精神障害者が社会から嫌われる理由である。

ここで糖尿病になり片足を切断する場合を考えてみよう。もちろん麻酔をかけるのだ が、麻酔をかける=神経細胞から伝わってくる情報セットの脳からの遮断である。麻酔をかけていなければ大変な苦痛が生まれるのだが、その脳により苦痛と解 釈される情報セットを麻酔(阿片)を使用することで遮断している。

ここで、片足を切断する時に生まれる様々な苦痛や不安の情報セットを XYZと定義する。ここで最初に出した砂糖とアスパルテームの例を思い出していただきたい。脳に関して言えば、砂糖であるかアスパルテームであるかはあま り関係ないのだ。一定の情報セットが届けば甘いと感じる。同じ理屈をあてはめるなら、精神障害者の脳にXYZという情報セットが届いた場合、この人は麻酔 無しで片足を切断されたのと同じ苦痛と不安を感じることになる。

さらに極端な例を出す。死ぬ時の苦しみや不安を情報セットZYXとする。もし精神障害者の脳に数時間毎にZYXという情報が届くなら、この人は1日に数回、死ぬ苦しみを味わうことになる。

調子が悪い時の精神障害者の苦しむ様子は見ていて気の毒なほどだ。その理由が私がこれまで書いたように、身体障害者は1回しか死なないが、精神障害者は1日に数回、実質的に「死ぬ」ことだとしたら、どうだろう?少なくとも私は耐えられそうにない。

どの民族においても人口の1%程度は統合失調症をふくむ重度精神障害者だ。遺伝的理由でそうなる人もいるが、遺伝と関係なく病気になる人も多数だ。アナタがこれからの人生で発症する確率も1%である。けっして他人事ではないのだ。

上記理由により私は身体障害者との比較において精神障害者は不当に社会から冷遇されていると考える。