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モーダルな曲の可能性 2011.06.27
こ
こ数週間、新しいmp3を出さなかった。理由はモード・ジャズをやろうと考えたからだ。素人は素人なりに自分でできる範囲の音楽を作っていれば良いのだ
が、私の場合は半分は音楽評論としてmp3制作をやっているので、どうしてもモードの曲を作りたかった。理由はそれだけである。
通常の
ポップスやジャズ曲はコーダルである。つまりコード進行に縛られている。特にジャズの場合、コードを分散和音にしてソロを組み立てるとカッコ良いぜという
概念(ビーバップという)があり、カッコ良いソロを取るためにバックのコードが果てしなく難しくなった。ハードバップ時期がそうだ。この反動としておきた
のがモード・ジャズだ。ここでは1つのモード(音の並び方)が作り出す雰囲気を楽しむことが重視された。これをジャズにおけるコーダルなアプローチとモー
ダルなアプローチという。
モーダルな曲では、ソロは音の並びかただけを守っていれば良く、コード進行を気にする必要がないために自由であ
るとされた。これは半分、嘘である。何故なら何らかのモードで押し通すことができるコード進行が極めて限られているために、ある程度モーダルな曲を聴く
と、どれも同じように聞こえるからだ。つまり、ある種の音楽演奏家の自己満足としてモーダルな音楽があったというのが私の意見だ。
今回、アップした「ミクソリディアン練習曲」は名前のとおり、ミクソリディアン(Gから始まる音の並び)で演奏されている。演奏していて思ったのだが、雰囲気を維持しているだけでソロはむしろ退屈なように思える。
結
局のところ、特定モードが醸し出す雰囲気に魅力があるかないかに尽きてしまう。この点において最強のモードはブルーノート(スケール)だろう。要はブルー
スなのだが、雰囲気がだるくて気持ち良いために一度はまるとなかなか抜けられない。これはブルーノートが醸し出す雰囲気が気持ち良いからだ(多くの人が気
持ち良いと感じるという意味。アナタがどう感じるかは知らない)。
ところが、そうした魅力あるモードは少ない。結果としてジャズにおけるモーダルなアプローチは10数年で行き詰まった。少なくとも私はそう考える。
今回、制作した曲はD9−Cmaj7という2つのコードでできている。何故なら、このコード進行がDミクソリディアンでのソロを強制するからだ。だが現実には、C9、C#9、F9、F#9などを使用している。雰囲気を壊さなければ何を使っても問題ないと私は考えるからだ。
実際に曲を制作してみるとモード・ジャズがあっというまに行き詰まった理由が良くわかった。退屈、これに尽きるのだ。
追記
再度、聞き直したらミクソリディアンになってるのは前半のトランペット・ソロだけで、後半のトロンボーン・ソロはドリアンでした。訂正します。
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