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賢者は歴史から何を学ぶのか? 2011.08.07
「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」とよく言われる。本当だろうか?ちょうど今日、それを疑う事件があったので書いてみよう。
た
かじんのそこまで言って委員会の中での三宅久之氏発言だ(名前が間違っているかも知れない。私は本当にTVを見ないので誰なのかわからない)。三宅氏は
「戦時中、日本は軍部独裁で大変だった」と言われた。しかし、今だって菅直人/伸子による独裁体制だ。三宅氏にそれが理解できないのは、歴史的な事象は同
じパターンで現れると思いこんでいるからだ。独裁が何かの基本的な定義を理解してないからだ。
同様に、戦時中に大本営発表があった。これは要するに政府に都合の良い情報だけを流し、都合の悪い情報を流さないことだ。これは今、日本の新聞やTVが日々、実践しているではないか。また与党民主党は人権擁護法案の可決を目指しているが、これは特高の復活だろう。
要するに、今、日本は歴史を繰り返している最中なのだが、過去に例の無いパターンで歴史を繰り返しているために、それを認識できない人々がたくさんいるのだ。
ま
ず、何故、賢者は歴史に学ぶのか?これは人間の基本的な本能とか性格は数百年では変わらないからだ。変わらない以上、過去におきた事は何度も繰り替えされ
る。その意味では、賢者が歴史に学ぶというのは正しい姿勢なのだが、問題なのは何のために歴史を学ぶかである。それは当然ながら「次回」はよりうまく事を
おさめるためだ。
ここに非常に大きな問題があると私は考える。私自身は歴史嫌いだが歴史を勉強すること自体は良いことだと思う。だが、歴
史=過去を勉強して現在および未来に生かすことが歴史を勉強する意味のはずだ。いや、オレは歴史の勉強そのものが楽しいんだと反論される方がおられるかも
知れない。それは私が「コンゴやハイチの音楽は無条件に聴いて楽しい」と主張するのとどう違うのか?
もし、今の日本で歴史が繰り返されていても、それを現在進行形で理解できないなら歴史の勉強をするだけ無駄だろう。ここには大きな思いこみがある。歴史は簡単に相似関係を見つけることのできる形で繰り返すというものだ。
例えば、小泉純一郎は織田信長だった、では郵政解散は何にあたるのか?それとも小泉は今川だったのか?歴史マニアはこんな形で考える。それでは全く新しいパターンで歴史が繰り返された場合、何も気がつかないだろう。
大体、今の日本は歴史マニアだらけだが、それでも過去の間違いが日々、繰り返されている。何故なら全く同じパターンで歴史は繰り返さないからだ。
私
はずっと「本当に賢者は歴史に学んでいるのだろうか?」という疑問を持っていた。きょうのたかじん番組での三宅氏の発言を聴いて、「重要なのは歴史との類
推を見つけることではなく、現状を正確に分析し、もし過去に類似例があるなら、そこから何らかの教訓を引き出すことだろう」とあらためて思った。
追記
例
えば、氷山の形である。氷山のうち海面上に出ているのは1/10だ。残りは海面下にある。そして見えている1/10をみて「この氷山は尖っている」と言
う。だが、何かの拍子でひっくり返れば全く異なる姿が現れる。だが、それを氷山の形が変わったというべきなのだろうか?最初から海面下も含めて氷山の形を
理解していれば、ひっくり返っても形は同じだろうと私は考える。
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