何故、今になって戦後体制が終わるのか?
2011.08.12

8 月4日の文章で「たかじんのそこまで言って委員会」における三宅久之氏の「戦時中は軍部の独裁で大変だった」という発言を紹介した。私は、この三宅氏の発 言に違和感を持ったのだが、それが何か特定できなかった。今日、やっとわかった。三宅氏の81歳という年齢を考えると、三宅氏が徴兵されたことはありえな い、従って軍隊体験もない、つまり三宅氏の「日本軍の独裁」というのは思いこみなのだ。

wikiから引用
三宅 久之(みやけ ひさゆき、1930年1月10日 - )は、日本の政治評論家。コメンテーター

引用終わり

旧 日本軍の独裁が子供心に刻まれたということなのかも知れないが、恐らく三宅氏の親や年上の意見の刷り込みがあったのだろう。何故、これに気が付いたかとい うと私の父が昭和元年(1926年)生まれで、太平洋戦争の最後の1年、軍隊にいたからだ。父は85歳である。もうすぐ86になる。つまり、本当の意味で 太平洋戦争を経験した世代は長寿国日本においても、すでにほとんど存在しないか、少なくとも社会的な活動ができる年齢では無くなっているのだ。

では三宅氏は何故、旧日本軍の独裁を体験してもいないのに未だにTVが語るのか?これは恐らく、三宅氏の親分(?)である渡邉恒雄氏の影響だろう。渡辺恒雄氏(以下、旧字を略して表記する)は読売新聞社説をはじめ多くのメディアでご自身の従軍体験を語られてきた。

引用wiki

渡邉 恒雄(わたなべ つねお、1926年(大正15年)5月30日 - )は、日本の実業家。読売新聞グループ本社代表取締役会長・主筆。読売巨人軍会長。「ナベツネ」の通称で知られる。

引用終わり

渡辺氏は私の父と同じ歳だ。ということは従軍経験はほとんど無いはずだと思って調べたらwikiには、こう書かれている。

引用

1945年(昭和20年)
4月 - 東京帝国大学文学部に入学。
7月 - 砲兵連隊に入営するも、終戦の2日前に除隊[28]
1946年(昭和21年)
天皇制への嫌悪から[29]日本共産党に入党

引用終わり

驚いたことに渡辺恒雄氏の従軍期間はわずか1ヶ月半なのだ。1ヶ月半の従軍、しかも戦争末期の混乱状態をベースに旧日本軍を語るというのはどうなんだろう?

しかし、それを言うなら大江健三郎や福島瑞穂などは全く旧日本軍がどのような組織であったかを知らない。全て、刷り込まれた「知識」からあたかも自分が体験したかのように話しているだけなのだ。

こ れは部分的には日本の特異性、つまり太平洋戦争後、1回も戦争をしたことが無いことに由来すると私は考える。アメリカはベトナム戦争で大きく疲弊した。英 国もフォークランド紛争(実質的には戦争)などを経験している。つまり日本以外のほとんどの国は太平洋戦争後も血を流す戦争を行ってきた。日本だけが、延 々と化石とかした記憶ベースで太平洋戦争の悲惨さを語り継いできた。これは事実だろう。

日本は、その「特殊性」故に戦後、戦争ができなくなった(憲法9条)。この風土で、徒に戦争の悲惨さを「美化」(誇張?)する人々が現れた。戦争を知らない子供達、あるいは全共闘世代である。

今、 戦後体制が本当の意味で終わろうとしているのかは不明だが、多くの識者がそういう認識を示している。彼らが正しいとして、もし何故、今なのかの理由を考え る時、WW2体験者が世界で死に絶えた(あるいは社会的に活動できないほど高齢になった)という極めて即物的な社会変化が根底にあるのかも知れない。

つまり今、現在の時点で戦争の悲惨さを語り継いでいる人々は悪徳ペンタゴン(笑)とは別の「戦争利権ビジネス」をやっていると私は考える。そして、世界がWW2体制から抜け出すには、WW2体験者が死に絶えるまでの長き時間がかかった(のかも知れない)。

追記

私 は1980年3月初頭にアメリカ西海岸を旅行した。これは朝日新聞社の新人研修が3月末から始まるので、その前に外国を見ておこうと考えたからだ。LAの 街角を歩いている時、偶然に老人と体がふれた。私はすぐに"I'm sorry"と言ったのだが、老人は私をにらみ"You should be!"(謝って当然だ)と言った。恐らく、あの老人はWW2体験者だったのだろうと今になって思うのだった。