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ルイゾン・マイアはこう語った 2011.08.14
ルイゾン・マイアというベース奏者は日本ではあまり知られてないが、サンバ・リズムでのベース奏法を確立した人である。英語wikiにもちゃんと書いてある。
http://en.wikipedia.org/wiki/Luiz%C3%A3o_Maia
サンバ・リズムでのベース奏法とは一体、何か?ルイゾンが自ら解説したところでは以下のようなものらしい。
あ
る時期までのブラジル音楽では手で叩くバス・ドラム(スルド)とベースの両方が入っていた。結果として低音域が濁って聞こえた。ルイゾンは電気ベースでス
ルドのリズムを刻みながら、同時にベースとしてのフレーズを弾く奏法を最初にはじめた。このやり方だと低音部がすっきりするために皆がルイゾンの奏法を真
似た。結果としてルイゾンの電気ベース奏法がサンバやボサノバでの基準となる奏法となった(ということらしい)。
この人はスタジオ系
ミュージシャンとして、ブラジルでのあらゆる録音物に現れていたが、50歳をすぎて脳梗塞をおこし右半身が動かなくなった。当時の奥さんであるヨーコさん
が日本人であるためルイゾンは東京に引っ越してきて、慶応病院でリハビリ治療を受けることになった。動作は不自由だったが、その他の障害は無かったようで
ジャズ・ライフという雑誌に自分の音楽遍歴をつづる文章を連載した。この文章が音楽業界の内幕暴露ネタ満載で面白かった。非常にこなれた日本語だったので
奥さんのヨーコさんが文章を書いたのだろう(何故、海外の有名アーティストの日本人奥さんはみんなヨーコなのか、誰か調査して欲しいものだ)。
偶
然にもアメリカ有数のベース奏者であるポール・ジャクソンも奥さんが日本人だったために当時から日本に住んでいた。ポール・ジャクソンはハービー・ハン
コックのヘッドハンターズというグループのベース奏者として知られている。全くの偶然なのだが、アメリカ有数のベース奏者と1980-90年代、ブラジル
最高のベース奏者と言われた人、二人が奥さんの関係で日本に住んでいた。ポール・ジャクソンは色んなセッションに気楽に現れたらしく、私の知人の友達(=
赤の他人)も一緒にステージに上がったと言っていた。
ルイゾンは右手が動かなくなったことで拘束がとれたのか、面白い内幕暴露話を書いていた。だがブラジル音楽の話を紹介しても理解できないと思われるのでマイルス・デービスに絡む話を思い出せるかぎりで正確に書いてみよう。
一時期のマイルス・デービス・グループから離れて生まれたのがThe Weather Reportだ。このバンドにはキーボードのジョー・ザビヌル、サックスのウェイン・ショーター、ベースのジャコ・パストゥーリアスなどのスター奏者がいた。以下、ルイゾンの暴露話。
ウェ
イン・ショーターが自分のソロ・アルバムを作ろうと考え、マイルスのアドバイスを求めにいった。するとマイルスは「キミは酔っぱらいのベース奏者がいるバ
ンドとソロ・アルバムを作ってはいけない。今、ブラジルのエリス・レジーナという歌手のバックバンドがすごく良い。ブラジルに行って彼らとセッションし
ろ」と言った。
この酔っぱらいのベース奏者とはジャコ・パストゥーリアスだ(笑)。私もこの人の演奏のどこが面白いのか全くわからなかっ
たのでマイルスの辛辣な批判に笑った。で、ウェイン・ショーターはマイルスのアドバイス通りにリオに行き、エリス・レジーナのバンドとセッションした。こ
の時のバンマスがルイゾンだった(ようだ)。
ルイゾンの文章によると、このセッションは滅茶苦茶、盛り上がったらしい。だがレコード会社
が、このセッションの発売を認めずお蔵入りとなった。未だに発売されてない。結局、リハビリにもかかわらずルイゾンの症状は回復せず2005年に東京で亡
くなった。奥さんであるヨーコさんが書いた泣かせる日本語手記がある。
http://www.geocities.jp/degiprio/topics_html/luizao.html
追記
ル
イゾンのように、ひとつのスタイルを確立した人は割といる。例えば、コンガ奏者のカルロス・パタート・バルデスがそうだ。コンガでは3つの太鼓を叩く。高
い方からキント、コンガ、トゥンバドーラと言う。ところが昔のキューバでは3つの太鼓に3人の演奏者がついていた。この3人の太鼓アンサンブルを一人で再
現する技を編み出したのがパタートであると言われている。今ではパタートのスタイルが一般的なコンガ演奏法になった。
(これに関しては、パタートだけではなく多くのコンガ奏者が同時に始めたという意見もある)
参考
http://en.wikipedia.org/wiki/Carlos_Valdes
Carlos
Valdes (November 4, 1926 – December 4, 2007) born in Cuba in 1926,
lived in New York City since 1954.[1] As a musician, he played the
conga[2] and worked with Willie Bobo in Harlem.[3] He was also known by
the name "Patato".[4] He invented and patented the tunable conga drum
(earlier drums had nailed heads) which revolutionized use of the
instrument. Tito Puente called him "the greatest conguero alive
today"[5].
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