新聞社がかかえる時限爆弾
2011.08.16

新聞社がかかえる時限爆弾とは何か?簡単に言えば押し紙である。より正確に言えば、押し紙を入れた部数に基づく広告料金である。

新聞社も、この危険性を理解している。例えば産経は押し紙を大きく減らしたらしい。また大手紙も減らしているという。だが、ハッキリ言って遅いのだ。何故、遅いか?

ま ず朝日や読売といった大手は来月から押し紙を止めますという形でのドラスティックな変更はできない。何故なら、押し紙(予備紙とか準備紙とか様々な名前で 呼ばれる)を一挙に廃止すると部数が100万部単位で減るからだ。それは誰が見ても不自然だ。結果として新聞社は、ゆっくりと押し紙を減らす以外の方策が 無い。

押し紙の存在は、新聞に広告を出す広告主にしてみれば詐欺である。公称部数を査定するABC協会が新聞と広告業界からの代表者の集まり=身内でしかないから当然だ。要するにABC協会発表部数とは「そうだったら良いな」という新聞業界の願望でしかない。

これまで押し紙は問題にされなかった。何故なら司法が新聞社に異様に甘い判決しか出さなかったからだ。だが、司法サイドにしても、既存メディアが凋落するなかであえて押し紙を擁護する判決を出す意味が無くなるだろう。

恐らく、新聞社は「押し紙の存在は、広告料金割引の形ですでに広告主に還元されている」と主張するだろう。これは100%嘘だ。朝日新聞社で10年広告営業をやった私ですら80年代、朝日新聞の本当の部数を知らないのだから。

ど ういう風に押し紙はなされるのか?まず、新聞社販売局には地域ごとの販売担当員がいる。彼らは押し紙を含めた部数を管理している。それは販売台帳という形 で記録されている。だが、例えば東京本社でどれだけ押し紙があり、本当の部数がどれだけかは一部の幹部にしか把握できないようになっている。ここでの一部 幹部とは、編集・広告・販売の局長と局次長レベルである(不確かな情報なら課長レベルまで降りてくる)。

この販売台帳を見れば、新聞社が意図的に部数水増しをやってきたことは一目瞭然である。当然ながら、これを見ることは極めて難しい。正直、私も完全に見たことはない。

いずれにせよ、押し紙は広告料金水増し詐欺とつながる。詐欺の時効は7年だ。そして朝日や読売が押し紙を廃止する意図があるにせよ実現するのは数年先だろう。つまり、これから10数年、新聞社は広告主からの詐欺刑事訴訟に怯えて暮らすことになる。

最 近は大阪府の橋下知事のように自分の意見を言う自治体首長が出てきた。こうした人々が、広告料金返還訴訟をおこせば新聞社は一気に窮地に追いつめられる。 一般論で言えば、政府広報や選挙公告などは広告料金表に従った定価が適用される。その定価算出根拠の1つが部数なのだ。つまり政府や地方自治体からの訴訟 は最も避けたい訴訟なのだ。

私の個人的な感想を言えば、これまで司法があまりに新聞に優しすぎたと思う。それは司法が新聞からバッシングされるのを恐れたからだろう。だが、新聞やTVが権威で無くなれば、そうした「偏向判決」を出す理由も無くなる。

朝日にせよ読売にせよ、本社ビルは勇壮にそびえ立っている。元々、国有地が格安に払い下げられたという政治的決断が根底にある。だが有力広告主が本気で広告料金の妥当性を司法の場で問うならば簡単に崩れ去ると私は考えるのだ。

有力な数社による寡頭支配により、押し紙は推し進められた。独占/寡占が世界で最も醜い形で現れたのが、日本の押し紙だと私は考える。この寡占のなかで朝日と読売は、冷戦時代のプラウダと人民日報が発行部数を競うような形で押し紙を進めてきた、これは事実だと私は考える。

追記

横 浜の板東橋に住んでいた時だ。毎日新聞の拡張員がやってきた。彼は「無料でいいから1ヶ月取ってくれ」と言った。私は「1ヶ月無料」の言質を取った上で、 毎日を購読した。再度、やってきた拡張員に「毎日は読む価値が無い」と私が言うと拡張員は「アンタ、良い度胸をしてるね」と言った。若干、怒った私は「ア ンタはどこの拡販所属だ?名前を言え!毎日の販売局長に通告する」と言った。そうすると相手は黙って引き下がった。これは、本当の事実である。