日経の誤報が示唆するもの
2011.08.17

引用

http://www.j-cast.com/2011/08/04103624.html

日本経済新聞が2011年8月4日付の朝刊で、日立製作所と三菱重工業が「経営統合へ向け協議を始めることで基本合意した」と特報した。大半のメディアが早朝から日経記事を後追いし、ほぼ同内容のニュースを流した。

 しかし、両社は相次いで「一部報道」に対し否定コメントを発表。昼のニュースや夕刊で各社が大きく扱いを修正、「空前のスクープ」にブレーキがかかった。本当は、どうだったのか。

引用終わり

私は誤報それ自体を問題にしようとは考えない。誰にでも間違いはあるからだ。私が問題にしたいのは日本経済新聞が誤報の訂正記事を元記事と同じ分量で掲載し、誤報で関係者に迷惑をかけ読者に誤った情報を送ったことを訂正しお詫びしない点である。

日 経に問い合わせの電話をかけても「誤報かどうかもふくめ引き続き取材中」と答えるだろう。こういう返事なら誤報を認めず謝罪もせずにすますことができる。 日立と三菱重工にして見れば不愉快だろうが、正面切って日経の誤報を非難するとどんな嫌がらせをうけるかわからない。結局、泣き寝入りである。

一 番、馬鹿を見たのは株式投資家だと思うが、彼らには不満のはけ口がない。何故なら誤報を調査し司法判断を示すような場所や機会がないからだ。何故ないかと いうと、新聞社は言論の自由を盾にしており、何らかの行政ないしは司法、立法からの圧力を言論弾圧と脳内妄想でねじ曲げ、逆に「言論の自由が脅かされてい る」というメディア全社キャンペーンによる反撃をしかねないからだ。こうなると日本メディアは言論利権をむさぼるマフィアにしか見えない。

今、人権擁護法案が様々な形で問題にされているが、個人的にはメディアの暴力から国民や企業を守り、メディアに人権を尊重させることが最も重要と考える。何故、それが必要なのか?簡単に言えば、メディアに自浄能力が無いからだ。

例えば今年、3月NZで大地震がおきて国家緊急事態宣言が出された。その中で、日本メディアは違法な取材をし警察に逮捕されている。だがメディアががっちりスクラムを組み、この事件の詳細を一切、報道しないために知らない人もたくさんいる。

参考

私が三橋貴明氏のブログに寄稿したNZ地震での日本メディアの暴行

http://blogs.yahoo.co.jp/mozugoe/2435043.html

書 いてる内容は三橋ブログと同じだが、私が書いたことを評価してくれているので、こちらを採用することにした。上の事件からほぼ半年たった今日の時点で、ど この社の記者が逮捕されたか依然としてわからない。中国ですら「真相」が広がる時代なのだが・・・ 日本の「報道しない自由」の守りは鉄壁だな。

ここで人権は自然権だから企業(法人)には無い、従って、法人の「人権」など守る必要がないと主張される人々がいる。そうした考えの元、JR、雪印、不二家、赤福、吉兆など無数の企業がマスゴミの毒牙により沈められた。何故、法人に人権を認めないのか?

日 立にせよ三菱重工にせよ、製造業であるからPL法に基づく回収義務を課されている。最近はCSR(Corporate Social Responcibility、企業の社会的責任)がうるさく言われるようになった。だが、それは企業に対し、社会倫理や道徳に従えと言ってるに等しい。 法人に対し、そこまで要求するなら対価として彼らに擬似的な人権を与えるべきだ。企業に義務や社会倫理、道徳を守ることを要求するなら、彼らに権利を与え るべきだ。

権利はオプションの買いによく似ている。権利保有者は権利を行使することも権利を放棄することもできる。他方で、権利が行使さ れた時に、義務を履行するのがオプション売り方に相当する。売り方は、必ず義務に答えなければならない。その代わり義務を引き受けた時点で(取引が成立し た時点で)、プレミアムというお金を先に受け取っている。

いや、竹本さん、そうじゃないんですよ、ホッブスとかロックとか調べて見てくだ さい、人間にのみ自然権として人権が与えられているんですと反論するかたがおられるかも知れない。しかしである、人権というオプションが権利行使された 時、では誰が義務を果たすのか?もし、誰も義務を果たすだけの力が無ければ、あなたが行使した人権オプションは何ら見返りをもたらさない。それは権利が存 在しないのと同じだ。こんな単純なことがわからないのだろうか?

つまり人権という概念が経済/金融工学的におかしいのだ。もし権利を行使 する人が存在するなら必ず、誰か権利を売り義務を引き受け履行する人がいるはずだ。何故なら権利を買う人と権利を売る人、両方がいてはじめて取引が成立す るからだ。それが近代社会の思想だと私は考える。

主張が散漫になったが、権利があるなら誰かが義務を引き受けている、義務があるなら誰か が権利行使を保留しているのだ。そしてマスゴミは言論の自由を盾に取り、権利のみ享受し、彼らの言論が国民や企業に与えた損害賠償義務を果たしていない。 これが今、救うべき最大の人権問題と私は考える。