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私が英国のバブルに気がついた時 2011.09.24
英国にスターンズというアフリカ音楽専門店がある。
http://www.sternsmusic.com/about.php
1983年にスターンズ氏によりレコード店はスタートした。その後、スターンズ氏は引退し、Don
Bayramianという帰化アルメニア人、 Robert Urbanusというオランダ人、 Charles
Easmonというガーナ人が経営者となり現在のスターンズが誕生した。このロバートさんの奥さんが日系ブラジル人であり、ロンドンにあるスターンズのお
店に日本人がいくとロバートさんが出てきて歓迎してくれた時代もあったそうだ。
スターンズが通信販売を始めたのは80年代後期だった。ま
ずカタログを手紙で請求する。これは年に2回しか発行されなかった。そのカタログを見て買いたいLPの名前を書き、銀行でポンド建ての小切手を作りスター
ンズに送った。
それが処理されて現物が届くのは注文を出してからほぼ半年後であった。しかも品切れが多く、送られてこない商品も多かった。だがスターンズ
は結構、いい加減なビジネスをやってたので返金は無く、その分は「次回の注文の際にクレジットとして使ってくれ」と書いてあった。我ながら、よくこんない
い加減な通信販売を利用したものだ(笑)。
だがスターンズでしか入手できないLPがあったのだ。例えば、ナミビアがまだ植民地だった頃に制作された「ナミビア解放戦線の歌」というLPは面白かった。予想に反して聞きやすい音楽だったからだ。
http://www.youtube.com/watch?v=236UoWKLZsM Nambian Liberation Song
私が聞いたのはバンド演奏だった。
引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E8%A5%BF%E3%82%A2%E3%83%95% E3%83%AA%E3%82%AB%E4%BA%BA%E6%B0%91%E6%A9%9F%E6%A7%8B
南
西アフリカ人民機構(なんせいあふりかじんみんきこう、英: South-West Africa People's
Organisation,SWAPO)は、ナミビアの政党。もとはナミビアがドイツ領であった第一次世界大戦中に独立運動を行っていた勢力が、大戦後に
勢力を結集してできた武装組織。1960年代に強硬派武装組織から大衆組織へと改組され、合法的手段で(武力を用いることもあったが)独立を求めるように
なった。(中略)
1990年にナミビアが独立を達成すると、SWAPO議長のサム・ヌジョマが初代大統領に選出され、SWAPOは政党となった。同国では独立以来ヌジョマSWAPO政権が続いた。また中道左派・社会民主主義政党の国際組織である社会主義インターナショナルに加盟した。
引用終わり
こ
ういうアルバムが制作されるのが如何にもアフリカらしい。目的が資金調達かプロパガンダかは不明だが、音楽はコーラス中心のフォーク・ロックだった。この
SWAPOはアンゴラのウニタというキューバと繋がりが深い独立組織と共闘していた。ウニタもアンゴラ独立の歌(?)というLPを出していた(注1)。関係ない
が、キューバ革命に関わったアルゼンチン人チェ・ゲバラはエル・コマンダンテ(指揮官)という愛称で呼ばれ、エル・コマンダンテを讃える曲は無数のアー
ティストにより録音されている。例えば
http://www.youtube.com/watch?v=dr_g23qi9hg&feature=related
正
確には曲名は"Hasta Siempre
Commandante"(アスタ・シエンプレ・コマンダンテ)という。常に指揮官ゲバラがそこにいたという歌詞らしい。曲は陰気なボレロで私の好みでは
ない。キューバなら明るいチャチャチャのリズムでコンガ・ソロが入る、こうした伝統は守りたいものだ。
このゲバラがキューバから転戦した
のがコンゴであり、そこでゲバラが一緒に戦ったのがローラン・カビラである。この男が独裁者モブトゥ・セセセコを追い出して1997年にコンゴ大統領に
なった。本当かどうか知らないが社会主義者であり、息子のジョセフ・カビラを北京留学させている。
スターンズの話に戻ろう。スターンズはその後、faxによるカタログ提供とクレジット・カードによる決済を始めた。私は再びスターンズからアルバムを買うようになった。ユーロが市場に導入されたのは1999年1月1日である。
引用
1999
年1月4日、フランクフルト証券取引所においてはじめてユーロとUSドルの為替取引が開始され、このとき 1EUR = 1.1789USD
の値がついた。ユーロ相場は対USドルで値を下げていき、取引開始から2年後には最安値をつけた。2000年1月27日にはユーロは
引用終わり
私はスターンズにfaxを送り「ユーロ誕生おめでとう」と書いたのだが、通販担当の男デーブは反ユーロ派であり「ユーロ、それがどうした!オレ達にはスターリングがある」と返事のfaxをよこした。スターリングというのはポンドのことだ。
2000
年頃にはスターンズのサイトもできインターネット経由でアクセスできるようになった。このスターンズが改装された。新しいお店の写真がサイトにあったので
見たが、パリのcafeを真似たのか洒落たコーヒー・コーナーが店舗のなかにできた。それを見ていた私は何かに似ていると思った。そう、六本木Wave
だ。
バブル末期、Waveはお洒落なワールド音楽という不思議なコンセプトで店舗展開をした。だが、そんな経営が成り立つ訳が無くバブル崩壊とともに
Waveも消えた。スターンズの新しい店舗、新しいビジネス・スタイル(ブラジル音楽取り扱い開始)などは、まさにロンドンがバブルにあり、六本木
Waveのようなビジネスをやっているように私には思えた。
実際、2002-2003年頃に自分のサイトで欧州、特に英国はバブル状態にあるという文章を書いた。この当時、読まれたかたもいたかも知れない。もちろん根拠はスターンズの店舗内cafeだけではなかった。
アフリカ音楽を聴く層は、日本ではいつも同じジーンズにTシャツのよれたオジサン達であり、洒落たcafeのイメージとはほど遠かった。ただスターンズの場合、教師や英国在住のアフリカ人も客層であり、日本よりは地に足がついたビジネスをやっていた。
欧
州、特に英国のバブルを指摘する文章を書いてから、10年近く経過した。やっと目に見えてバブル崩壊が始まったようだ。別にユーロ圏にも英国にも恨みはな
いが「何故、このユーロ(ポンド)・バブルは弾けないのか?」とずっと思っていたので、「自分の直感は結局、正しかったのだ」という感慨はある。
私がスターンズからCDを月に数十枚単位で買ってた頃、1ポンドはほぼ200円だった。随分、貢ぎましたよ・・・・ 私は何故、たいした産業もない英国ポンドが200円もするのか不思議に思ったものです。
注1: 1983年にブラジルRCAから出た"Canto Libre de Angola"直訳すると、アンゴラの自由な歌というアルバムのなかには政治的な曲もあった。
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