成功論と失敗学
2011.09.25

すべての幸福な家庭は互いに似ている。不幸な家庭はそれぞれの仕方で不幸である。

『アンナ・カレーニナ』冒頭

このトルストイの言葉を新聞でよく見る。最近だと日経の春秋で見た。この表現を見る時、私はいつも思うのだが、それほど素晴らしい人生の真理をトルストイは述べたのだろうか?

幸福な家庭を積集合と考える。幾つかの集合が考えられる。

1.家族間に愛があること
2.家族が最低限の生活ができるレベルのお金を持っていること
3.家族が最低限の健康を維持していること
4.家族が何らかの信条(例えば宗教)を強く共有していること

この4つの集合の積集合が幸福な家庭であると私は定義することにした。対して不幸な家庭は、幸福な家庭の補集合であると定義する。

引用

http://www.geocities.jp/k27c8_math/math/set_theory/difference_set.htm

補集合とは、その集合に含まれない元を全て含む集合のことを言います。集合があるとすると、集合に含まれない元を全て集めたものを、(X)の補集合といいます。

中略

ん?
ここで、鋭い人は「ん?」とか「あれ?」とか「ほわゎ?」とか思ったかもしれません。なぜなら、集合の元は、どんなものでも許されます。

た とえば、偶数の集合の補集合は奇数の集合でしょうか?確かに奇数は偶数の集合には入りませんが、よく考えれば、整数以外の有理数や実数も偶数の集合に入ら ないため、偶数の補集合の元になってしまうのではないでしょうか?また、集合の元としてはa,bなどのアルファベット、ひらがな、国名など、なんでもOK だったはずなので、ただ偶数の補集合を考えただけで、数字以外の関係ないものもごちゃごちゃした、とんでもない膨大な集合になってしまいます。

引用終わり

注: (X)と書いてるのは原文の記号がコピペできなかっただけです

つまり不幸な家庭は幸福な家庭の補集合であると考えるとトルストイの言葉は集合論として自明である。何も言ってないに等しい。

そ ういう何も言ってないに等しい文章はたくさんある。例えば、どうやって成功を収めるかの解説本がそうである。大体、そういう解説本を書くほど「成功のコ ツ」を知ってるなら、何故、本を書くなどというしんどい行為を行うのか?別荘で美女をはべらし美味い酒を飲んでいれば良いではないか?

こ こでは、そういう「成功のコツ」というハウツー本に需要があることが重要な意味を持つと考える。読みたいという読者層がいるのだ。つまり「埋もれた印税」 があるのだ。そして「成功のコツ」というハウツー本を書けば内容が正しいかどうかに関係なく売れる。結果として、こうした書籍はコンスタントに出版され る。

例えばウォーレン・バフェットが如何にして世界有数の金持ちになったかは無数の書籍で解説されている。だがバフェットがどうやって成 功をおさめたかを読むことは果たして意味があるのだろうか?もし書籍を読むことでバフェットと同じような金銭的成功を収めることができるなら世界は金持ち だらけになってしまうだろう。

つまりバフェットが成功を収めた本当の理由は書籍には書いてない。何が本当の理由か?

1.運が良かった
2.時代と合致した
3.良い人脈に恵まれた
4.排他的な金融情報を入手できた
5.ズルをしたが、米政府に手を回し罰則を免れてきた

こ うした理由が考えられる。もしバフェット本に書いてあるノウハウでバフェットが世界有数のお金持ちになったなら、他の人もなれるはずだ。他の人がバフェッ トの真似をしてもうまくいかないのはバフェットのような「才能」があなたに無いせいだろうか?努力が足りないせいだろうか?

本当に「成功のコツ」があるなら誰もそれを開示しないだろうと私は考える。ということは開示されている情報は「どうでも良いレベルの情報」と考えられる。

ここで冒頭に出したトルストイの言葉を少し変えてみよう:

すべての成功は互いに似ている。失敗はそれぞれの仕方で失敗する

この場合、成功は以下の積集合である。

1.運が良かった
2.時代と合致した
3.良い環境、特に人脈に恵まれた
4.排他的な金融情報を入手できた
5.ズルをしたが、米政府に手を回し罰則を免れてきた
6.才能があった
7.努力をした

対して失敗は、成功の補集合である。

何を言いたいか?成功は再現可能性の無い要素に大きく頼っており、他人の成功例を見ても意味がないのではないか?

例えば、日本の戦後著名経営者と言うと本田宗一郎、井深・盛田、松下幸之助などが挙げられるが、みんな日本が高度成長期にあった時に時代を読んだ人たちばかりだ。

私の考え方だと成功から学ぶことは少ない。何故なら成功は再現不可能な要素に助けられている部分が大きいからだ。それでも、これまで成功論が説かれたのは世界経済が成長しており「やり直し」が効くという前提があったからだ。チャレンジしても良いだろうという余裕があった。

も し世界経済が不況になれば失敗論のほうが重要になる。要するに何故、様々な失敗が世界でそして日本で時代をこえて繰り返されるのかの理解である。部分的に は賢者は歴史に学ぶという発想とも重なるが、失敗の事例を集めデータベース化し、そこで検索システムを作るのである。例えば「政治の機能不全」と入れる と、過去から現在までの政治の機能不全からおきた失敗例が提示される。そこから何かを学ぼうというものだ。

ここでの私の発想は、成功には再現不可能な要素(例えば運とか時代)が多い、対して失敗は時代と世界地域をこえて共通した要素を持つ、従って、徹底的に失敗を研究することでリスク管理を徹底するほうが徒に成功を求めるより効率的であることを前提としている。

つまり、積集合(成功)ではなく補集合(失敗)の膨大な、これまで手がつけられなかった事例を、現在、利用可能になった「高度な情報処理技術」により体系化したほうが生産的と私は考えるのだ。何故なら、失敗の研究は比較において未開拓な分野、フロンティアだからだ。