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プロテスト歌手は矛盾だらけ 2011.10.09
前文章の続きになる。
アメリカにおける音楽での反原発運動主導者、ギル・スコット・ヘロンの音楽に関して書いてみよう。例えばスリー・マイル事故を歌った"We almost lost Detroit."
http://www.youtube.com/watch?v=b54rB64fXY4
冒
頭の語りで「オレ達は原発反対音楽家組織、MUSEというのを作り、No Nukesというアルバムを作った」と言っている。これは本当であり、坂本龍一
とは次元の違う問題意識を私は感じる。音もカッコ良い。私は基本、音楽に思想を持ち込まない主義だ。GSヘロンの主張に共感はしないが音のカッコ良さは認
める。
GSヘロンはレーガンが嫌いで音楽で猛烈な批判をした。だが、ここにも大きな矛盾があると思う。もしアメリカがGSヘロンの主張を受け入れて、核兵器を廃棄したらどうなっただろう?
当時は冷戦のただ中にあった。ソ連が核兵器を廃棄することは考えられない。結果として世界はソ連中心に組み替えられ、共産主義が規範となるだろう。大体、GSヘロンは英語でしか「核兵器、原発を廃絶せよ」を主張してない。それは共産主義を歓迎する行為にほかならない。
何
故なら冷戦時代はMAD(Mutually-assured
Destruction)の上に「平和」が成り立っていたからだ。MADとは自分が核兵器を使用するなら、自分も相手から報復されることを相互保証、相互確認する
ことだ。これによりアメリカもソ連も核戦争を起こせなくなった。つまりGSヘロンの歌は現実として戦争誘発歌でしかない。
同じ事は坂本龍
一にも言えて、そんなに原爆・原発を根絶したいならオマエの好きな中国に帰化して、中国人として核開発や新規原発建設に反対しろと私は言いたい。どういう
理由で核兵器を保有してない日本向けに延々と「核兵器廃絶」を訴えるのか、意味不明だ。それは大江健三郎とか社民党党首福島瑞穂と同じで、そういうビジネ
スなのだ。だが、それが「ビジネス」であることが認識されてないのは大きな問題だと私は考える。
という訳でビクトル・ハラ、ギル・スコット・ヘロン、坂本龍一といった人々には共通した「虚構」があることがわかると思う。
ア
フリカでそうした演奏家を探すならフェラ・クティだろう。この人のアジトがナイジェリア軍の襲撃を受けて焼かれ、その際にフェラの母親が窓から投げられ死
んだのは誇張のない事実だ。何故なら、その頃は日本人ファンが普通にラゴスに滞在し、フェラにインタビューしていたからだ。
だが彼の言動はあまり評価されてない。実際、欧米でプロテスト歌手/演奏家として知名度があるとは言い難い。評価されない理由があるのだ。例えば下のような事実である。
引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%86%E3%82%A3
1978年、バンドメンバーである女性コーラス27人と合同結婚式を行う
引用終わり
27人の奥さんは我々の基準からすると26人ほど多い。せめて3−4人にしておけば欧米メディアも、もう少し取り上げてくれたかも知れない。
だがフェラの最大問題は、彼はアルバムのなかで様々な批判をしたが、結局ビアフラ戦争における部族抗争を批判できなかった点だと思う。ビアフラ紛争とは何か?
引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%A9%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD
ナ
イジェリアからの独立
[編集]
1966年に、ナイジェリア軍部によるクーデター未遂が勃発、事態を収拾したナイジェリア軍のイロンシ少将は北部と東部と西部の3州で州ごとに首
相を持っていた連邦制を廃止して中央集権化を図るため、地方を12州に分割しようとした。しかし、これがイボ族による支配を図っているとみられたためにイ
ロンシは殺害され、北部や西部に移住していたイボへの虐殺が起こった。この際に権力を握ったゴウォン中佐はイボへの迫害を抑えることなく、連邦制は復活さ
せたが州の細分化を進めようとした。
戦争末期に内陸部へ封じ込められたビアフラでは200万人といわれる餓死者を出し、「ビアフラの悲劇」と呼ばれて世界的に注目された。同共和国の滅亡後、国外に脱出した民族派などがビアフラ国亡命政府を樹立し、失われた祖国を再興させるべく現在も活動を続けている。
引用終わり
相当にややこしい事情があるので少しづつ説明したい。ナイジェリアは主に3つの部族からなる。
1.ヨルバ(宗教は独自ないしはキリスト教との混合) 2.イボ(宗教はキリスト教) 3.ハウサ(宗教はイスラム教)
こ
の状況でイボ族の土地に原油が見つかった。イボ族はこの原油を独占しようとして独立宣言をした。これを不愉快に思ったヨルバとハウサはカメルーンの協力を
得て陸路を封鎖した。結果として、食料がイボの土地に届かなくなり膨大な餓死者が出た(日本語wikiは200万人と言っている)。
この紛争の裏には欧米の影が見える。だが陰謀論を書いても仕方がないので省略する。
私の意見では、アフリカがいつまでたっても発展しないのは彼らの部族意識にあると思う。国より自分の出身部族を優先するのだ。そしてアフリカの国は複数の部族からなる。
フェラ・クティは上に書いたビアフラ戦争/紛争での攻撃側、ヨルバ族出身なのだが、ビアフラ戦争が激化するとアメリカ西海岸に逃げている。ビアフラ戦争がおさまって初めてナイジェリアに帰国した。
多くのフェラの歌はコロニアル・メンタリティー(植民地根性)を強烈に批判する。だが、フェラがビアフラ戦争でヨルバ族が果たした役割(トライバル・メンタリティー/部族意識)を批判したことは私が知る限り一度も無い。
こうして見ると、プロテスト歌手は地域や国を問わず「虚飾」のかたまりだと私は思うのだ。
追記
1980
年代初頭、我々コンゴ音楽ファンはどういう風にコンゴ人とつきあうかを議論した。そこで指摘されたのは、旅人として接する限り問題ないが、彼らと友達にな
るべきでないという点だ。何故なら、コンゴ人に取り友達は助け合うものであり、いったんコンゴ人と友達になると果てしなくたかられるからだ。
コンゴ音楽ファンといえども日本での生活がある訳でコンゴ人に財産を貢ぐ余裕などない。ただ、サックス奏者の五郎さんのようにコンゴに帰化し最終的にコンゴの土地の一部となった人はそれなりに尊敬された。
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