何故、日本人が世界標準にあわせなければいけないのか?
2011.10.29

Rolandは日本が誇る楽器メーカーである。例えば、どんなカラオケにもリバーブとコーラスがついている。リバーブは大昔からある残響だが、コーラスはRolandの子会社であるBOSSが独自に作った効果音である。意外と知られてない。

さて、偶然に欧米音楽業界人によるRoland A500というマスター・キーボードの評価を読んだ。マスター・キーボードというのはMIDIを主に入力するための鍵盤楽器である。

(このMIDI規格の半分くらいはRolandが決めた。それが世界標準になり、現在もなお使用されている)

例えば下の英語サイトでレビューを見ることができる。

http://audiostateofmind.com/2011/roland-a500s

この方は音楽を制作するサイドの人のようだが、最大の不満はA500の鍵盤がピアノ鍵盤より小さいことにあるようだ。この意見をきいて色んなことを思い出すのだ。

ピ アノ鍵盤は白人男性の指と手のひらにあわせて決められている。しかも白人のなかでも大柄な北欧系に合わせている。つまり日本人の体格からすると大きすぎる のだ。私はこの点を昔から不満に思っていた。ピアノもチェンバロのように強弱が付かない楽器から発展してきた。ピアノを改造して悪い理由は何もない。

私は手のひらが大きいから良いが、日本人女性とかはピアノを弾くために小さい頃から指を伸ばす訓練をした。これは馬鹿げている。悪く言えば奇形だ。

テ ニス選手は利き腕である右手が左手より数cm長いという。だが、そうした物に体をあわせると言う発想は根本的に歪んでいると私は思う。ピアノの鍵盤が大き すぎるなら、小さい鍵盤のピアノを制作すれば良いではないか?日本にはヤマハやカワイと言った世界に誇るピアノ製造業者が存在するのだ。

私 はローランドが日本人の体格にあわせた鍵盤を採用したことを高く評価する。何のために楽器を弾くのか?「ショパン・コンクールを目指してます」という人も いるだろうが、ほとんどの人は楽器を演奏して楽しいひとときを持ちたいだけなのだ。何故、そこで北欧系白人男性の指と手のひらにあわせた鍵盤を無理に弾く のか?自分たちが楽に弾ける鍵盤を選べば良いではないか?日本にはそうした鍵盤を作る技術があるではないか?

ところが、そうした動きに対して「そんな鍵盤を使っていては"本物"を弾きこなせません」と知り顔で指摘する人々がいる。東京芸大の教授とか坂本龍一などである。要するに権威である。

こういう意見を聞くと骨の髄まで反権威主義の私は「何が本物なんだ?そんなに本物にこだわるならフルートを吹かずエボニーを吹いてろ」と言いたくなる。

(現 在のクラシック演奏で採用されているフルートはベルギー人アドルフ・サックスが考案したメカニズムを使用している。このメカニズムはジャズで使用される サックスのメカニズムと同じである。従って、作曲者の意図に忠実であるならオーケストラはエボニー(黒檀)という堅い木をくりぬいて作った古いフルートを 使用するはずだ)

ポップスの歴史は「自分が弾きたいような楽器を弾けばよい」という思想から成り立っている。クラシックのコントラバスはリズムがきつい音楽では音程を正確に取れない。そこでフレットをつけることで(大まかな)音程が正確に取れるようにした。それが電気ベースである。

ピアノに限らずナイロン・ギターも白人男性の体格を基準にしていた為に、比較的、体の小さいブラジル人には弾きにくかった。そうしたブラジル人演奏者の不満をきいて、より小さなギターを作ったのが杉山さんという日系ブラジル人(日本人?)である。

こ のギターはボサノバなどを弾くのに適していたので、一時期のブラジル音楽でのギターは杉山さん制作のものばかりだった。某有名日本人女性ギタリストは指を 伸ばすために子供の頃、暇な時は指の間に鉛筆をはさんでいたという。それは明らかに常識に照らしておかしいのだが「楽器をやってたので小学から体育は全て 欠席しました」という反社会発言が許容される風土が日本にある。

(何 故、反社会発言か?もし「ボクはサッカー選手になるので理科と国語は受けません」という子供が現れた時に、対応できないではないか?楽器を練習してるから 体育の授業を受けないことを認めることは学校教育の否定ではないのか?「楽器を習ってる」というだけの理由で体育の授業を受けないなら、体育の授業はたい して必要ないことを学校側が認めたことになると私は考える。必要ないなら最初から選択制にするべきだ)

いっそのこと、日本人の体格に合わせた様々な楽器をJIS規格に入れてしまえば良いのだ。体が小さいのは日本人だけではない。白人の子供達、女性も小さい。従って需要/市場は存在する。日本政府が音楽規格を認定してしまえば、それはそれで世界で普及すると思う。

思 えばISO(世界標準化機構)の決めた規格はおかしな規格ばかりだ。日本製品がオーバークオリティーだったのは、頻繁に地震がおきて部品がゆるんでも故障 しないようにという日本の風土を反映したものだったと私は考える。ところが、いつのまにか規格の主導権を欧州主導のISOに握られた。

http://en.wikipedia.org/wiki/International_Organization_for_Standardization

− ISOの公用語は英語、フランス語、ロシア語である(日本語はない)
− 最終決着は加盟国の投票で決まる。日本の1票もリヒテンシュタインの1票も同じ重さをもつ

JISのほうがISOより遙かに優れた規格であると私は考えるのだが、日本経済新聞などの洗脳機関の工作により我々は異質な規格を飲まされた。
それは北欧系白人男性の体格にあわせて製造されたものを日本人女性も使用することを強制するのも同然だった。つまりピアノである。

いい加減、日本人は自分たちの「体格」にあわせた物を選好するべきだろう・・・