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現代風土下座を考える 2011.12.09
まず土下座とは何か?
引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E4%B8%8B%E5%BA%A7
土下座(どげざ)とは、土の上に直に坐り、平伏して座礼を行うこと。日本の礼式のひとつで、本来は極度に尊崇高貴な対象に恭儉の意を示したり、深い謝罪や請願の意を表す場合に行われる。
概要 [編集]『魏志倭人伝』には邪馬台国の風習として、平民が貴人と道端で出会うと、「道端で平伏して拍手を打つ」との記載があり、古くからの日本の習慣であったと思われる。古墳時代の埴輪の中には平伏し、土下座をしているようなものも見受けられる。
また、近代まで庶民が貴人に面会するときも土下座をするのが通常であった。他方で、近世、一般的には大名行列が通過するときに、行きあわせた庶民は土下座をしなければならないと思われているが、それは正しくない。
日
本人の生活意識では、土の上に座って額を地面につける動作が日常の行動から大きく逸脱しているために、それだけ並はずれた恭儉・恐縮の意を含む礼式である
と解釈された。江戸期には相手に土下座をして謝ることで、大抵のことは許してもらえる風潮があったが、一方ではこれを大変な恥辱とする考え方もあった。
現
代でも土下座を恥とする考え方が根強く残っているが、他方では、選挙の際の国会議員がマスメディアの面前で簡単に土下座を繰り広げる、あるいは不祥事や大
事故を起こした企業の経営者などがマスメディアの追求や国民の批判の前に土下座に追い込まれる光景が繰り返されているその影響からか、現在では土下座自体
に謝罪というよりも「なりふり構わぬ自己保身の手段」というネガティブなイメージを抱く人が多くなった一面があり[1]、土下座の使い方や使いどころ次第
でかえって世間の反感や冷笑を買ってしまい、逆効果になってしまうケースも見られる様になっている。
引用終わり
まず跪(ひざまづ)いて謝ることは問題ない。また跪いた上で両手をついて謝るのも妥当な謝罪方法だと思う。私が、ここで反対し非難しているのは頭を地面にすりつける形での謝罪だ。これは法律で禁止すべきだと私は思う。何故か?延髄が無防備になるからだ。
引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%B6%E9%AB%84
延
髄(えんずい、medulla
oblongata)は、脳の一部。脳幹のうちもっとも尾側の部分であって、吻側には橋、尾側には脊髄がある。背側には下髄帆を挟んで小脳がある。嘔吐、
嚥下、唾液、呼吸および循環、消化の中枢を含み、生命維持に不可欠な機能を担っている。
体表から見ると、延髄は後頭部と首の境目あたり、
すなわち俗に盆の窪(ぼんのくぼ)と呼ばれる位置にある。この位置は、頭を挙げた普通の姿勢では頭蓋骨と頸椎に覆われているが、頭を落としてうつむくと、
体表までの間に骨で覆われない部分ができる。その部分では延髄を守るものが軟部組織だけなので、外傷が延髄の損傷に結びつきやすい。
引用終わり
つ
まり、土下座をすると人間の体で最も弱い部分である延髄の皮1枚上にある盆の窪(ぼんのくぼ)がむき出しになる。そこに打撃を受けると良くて下半身不随、
悪ければ死ぬ。法の裁きで死刑になるのは当然だが、日常生活において、自分の生殺与奪権を相手に与える形で謝罪する/謝罪を要求するのは、ただの私刑だ。
つまりリンチだ。
怒りが抑えられないなら殴れば良い。殴ったから死ぬことはまずない。だが延髄をやられると本当に死ぬのだ。その延髄部分
をさらけだしてまで謝罪をするのはおかしい。要求するほうもおかしいし応じるほうもおかしい。つまり人間の尊厳が軽く見られているから私は現代風土下座を
批判しているのだ。
大体、日本人の伝統的な土下座とは土の上に座り拝むことでは無かったのか?つまり私は現代風土下座は古代の土下座の劣化版だと思う。その影響元はどうも大陸アジアにあるようだ。
例えば中国の三跪九叩頭である。
引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%B7%AA%E4%B9%9D%E5%8F %A9%E9%A0%AD%E3%81%AE%E7%A4%BC
叩頭とは額を地面に打ち付けて行う礼である。写真は参考としての磕頭(カイトウ、頭をたれて深く感謝を意味する場合にも使用される)である。
1.「跪」の号令で跪き、 2.「一叩(または『一叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。 3.「二叩(または『再叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。 4.「三叩(または『三叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。 5.「起」の号令で起立する。 これを計3回繰り返すので、合計9回、「手を地面につけ、額を地面に打ち付ける」こととなる。
紫禁城の前庭での国事祭礼で皇帝の前で臣下が一斉におこなった。また、琉球王朝や李氏朝鮮では、中国からの勅使に対し、王が王都の郊外に出向き、自ら三跪九叩頭の礼で迎えていた。その郊外の地が琉球の場合、守礼門であり、李氏朝鮮の場合、迎恩門である。
中略
明治時代 [編集]1873年、台湾出兵の処理に赴いた特命全権大使副島種臣は、同治帝に謁見した際に三跪九叩頭の礼を要求されるが、古典を引用して立礼を主張し、最終的に立礼で通した。
引用終わり
私が現代風土下座に反対する最大の理由は延髄への攻撃が簡単になるからだ。もう1つの理由は、土下座をしたから相手の賠償責任が増えるわけでも賠償額が増える訳でもない点だ。
要するに相手に口頭で謝罪をさせるのは本来、ただの手段であり、目的は相手に賠償をさせることだ。ところが相手に土下座をさせても、鬱憤は晴れるかも知れないが、賠償額や賠償責任は何ら変わりない。
では何故、未だに土下座して謝る人がいるのか?それは絵になる謝罪ポーズを求める人たちがいるからだ。新聞社の写真記者やTV局カメラマンが典型的な例だ。
現代風の延髄をさらす土下座は本当に日本古来の土下座なのか検証する必要があると私は考える。
追記
二匹の狼が闘いをする中で、一方が負けを認め、自分ののど笛を相手に向けることがあるという。ここでのど笛をかむと勝負が決まるのだが、狼の本能により、のど笛をさらけ出した相手にはかみつけないという。狼ですら、この程度の「マナー」を持っているのだ。
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