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消費者として声をあげる時 2012.01.04
私は無愛想な人間だ。日常会話をほぼあきらめている。それはTVが会話の主体である人とコンゴ音楽/音楽制作が会話の主体の人の間には何ら接点が無いからだ。だが消費者としてハッキリ声をあげることもある。
例
えば、スーパーで買い物をしていてレジ係の不注意で卵ケースを落とすことがある。店員は「交換します」と言うのだが私は「交換しなくていい」とハッキリ断
る。何故なら、相手はそれなりに過酷な商売をやっており、悪意が無いのが明白なのに相手の責任を追及する理由が無いからだ。大体、割れた卵がもしあったと
しても調べて先に食べれば良いだけの話だ。
もちろん布製の買い物袋を常に持参する。自前買い物袋を使用する前はスーパーの買い物袋が山の
ようにたまった。それは明らかに無駄であり資源の浪費だ。だが私の親世代は自前買い物袋を持参しない。彼らの感覚ではそれは「恥」らしい。結果として買い
物に行く度に20−30円を払い、必要ない袋を下げて帰る。
私はPC作業が多いために目がドライアイ状態になることが多い。対策として目
薬を買う。薬局のレジで何も言わないと、小さいオシャレなプラ袋に目薬を入れる。だが私はいつも「シールでかまわない」と言っている。ゴミにしかならない
袋をもらっても意味がないからだ。シールにすることで薬局も助かるし私もゴミを出さなくてすむ。
ひるがえって一般消費者を見ていると、レジ係と愛想よく話をしているのだが、私が口を開き自分の意見を言う場面では黙ってみていることが多いようだ。
日本社会では私が「おかしな消費者」となる。だが、一言自分の意見をいうだけで日本社会の不要な費用を減らすことができるのだが・・・・
社会的費用を減らすという意識を持って生活することが異常なのだろうか?
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