政府広報ってなんだ [ことばの元気学]
これ、1982年から86年にかけての「政府広報」です。
原発の安全性をアピールするものの中からほんの一部を選びました。
「広告批評」の87年6月号で、こうした広告をたくさんとりあげ、高木仁三郎さんにこまかくその嘘を指摘してもらったり、広瀬隆さんと野坂昭如さんに反原発論を書いてもらったりしたのですが、いま改めてこうした政府広報を見ると、そのこわさにぞっとしてしまいます。
「世界一の技術が、日本の原子力発電を支えています」だそうで。
じゃあ、世界中で原発事故が起こっても不思議はないわけですね。
政 府広報というのは、本来、政府からの「お知らせ」です。が、これは明らかに「行政広報」じゃない、「意見広告」です。それも、原発推進のための一方的な意 見広告です。「原発反対の人も国民の中にはいっぱいいるのに、こういう一方的な広告を、それも国民の税金を使ってやるのはおかしい、憲法違反だ」という意 味のことを、当時、小田実さんは「広告批評」に何度も書いていました。が、こういう広告の圧倒的な攻勢に押されて、反対意見はかすんでしまいました。
そ れはともかく、福島第一原発の大事故があったばかりなのに、いままた原発は安全だからと、経産省は日本各地で休止中の原発の運転を再開しようとしていま す。そのうち、新聞にまた、こういう政府広報がのるかもしれませんよ。「敦賀発電所」のところが「福島第一原発」と書き換えられて。
引用終わり
言われてみれば昔の政府広報は原発推進とか北方領土返還が多かった。何故か最近は北方領土返還が減少している。
天野氏の意見には納得できない部分がある。新聞社に取り政府広報は広告以外の何物でもない。しかも苦情をあまり言わず広告料金をねぎらない優良広告主だ。政府広報は徹頭徹尾、広告であり「お知らせ」ではない。
1982年というと石油ショックの数年後だ。あの頃、原子力を広報することはそれなりに意味があったと私は思う。また意見広告と見なすほど押しつけがましさも無いように思える。
もし天野氏がご自分の論理を信じているなら
「増税反対の人も国民の中にはいっぱいいるのに、こういう一方的な広告を、それも国民の税金を使ってやるのはおかしい、憲法違反だ」
という主張を野田氏に対しされるべきだ。広告批評とは自分の政治信条を基礎に広告を論じることなのか?
原発の安全性をアピールするものの中からほんの一部を選びました。
「広告批評」の87年6月号で、こうした広告をたくさんとりあげ、高木仁三郎さんにこまかくその嘘を指摘してもらったり、広瀬隆さんと野坂昭如さんに反原発論を書いてもらったりしたのですが、いま改めてこうした政府広報を見ると、そのこわさにぞっとしてしまいます。
「世界一の技術が、日本の原子力発電を支えています」だそうで。
じゃあ、世界中で原発事故が起こっても不思議はないわけですね。
政 府広報というのは、本来、政府からの「お知らせ」です。が、これは明らかに「行政広報」じゃない、「意見広告」です。それも、原発推進のための一方的な意 見広告です。「原発反対の人も国民の中にはいっぱいいるのに、こういう一方的な広告を、それも国民の税金を使ってやるのはおかしい、憲法違反だ」という意 味のことを、当時、小田実さんは「広告批評」に何度も書いていました。が、こういう広告の圧倒的な攻勢に押されて、反対意見はかすんでしまいました。
そ れはともかく、福島第一原発の大事故があったばかりなのに、いままた原発は安全だからと、経産省は日本各地で休止中の原発の運転を再開しようとしていま す。そのうち、新聞にまた、こういう政府広報がのるかもしれませんよ。「敦賀発電所」のところが「福島第一原発」と書き換えられて。
引用終わり
言われてみれば昔の政府広報は原発推進とか北方領土返還が多かった。何故か最近は北方領土返還が減少している。
天野氏の意見には納得できない部分がある。新聞社に取り政府広報は広告以外の何物でもない。しかも苦情をあまり言わず広告料金をねぎらない優良広告主だ。政府広報は徹頭徹尾、広告であり「お知らせ」ではない。
1982年というと石油ショックの数年後だ。あの頃、原子力を広報することはそれなりに意味があったと私は思う。また意見広告と見なすほど押しつけがましさも無いように思える。
もし天野氏がご自分の論理を信じているなら
「増税反対の人も国民の中にはいっぱいいるのに、こういう一方的な広告を、それも国民の税金を使ってやるのはおかしい、憲法違反だ」
という主張を野田氏に対しされるべきだ。広告批評とは自分の政治信条を基礎に広告を論じることなのか?