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カレン・カーペンターの強迫症 2012.04.04
カー
ペンターズと言えば1970年代に絶大な人気を誇った兄妹デュオだ。日本でも非常に人気があった。そのメイン・ボーカリストであるカレンが突然死したのが
1983年だった。その頃はサラリーマンだったが、職場の同僚達も驚いた。当然、私も驚いた。突然死の理由は拒食症と言われた。太ったという説とガリガリに痩
せたという説があった。だが私は基本、コンゴ音楽ファンなのですぐに忘れてしまった。今回の文章は何故、カレン・カーペンターが死ぬまでの強迫症を持つよ
うになったのかを考えようというものだ。
http://www.youtube.com/watch?v=F9IagAg7u5M&feature=related
上の動画でカレン・カーペンターのドラム・ソロを聞くことができる。
私の感想:
1.兄のリチャードは非常に落ち着いている。自分がやる事がわかっている 2.妹のカレンははしゃぎすぎている(何らかの不安の表れか?) 3.カレンのドラム演奏はうまいのだが、これは鼓笛隊(マーチング・バンド)のうまさだ 4.鼓笛隊のうまさとは何か?ルディメンツ(基本的な叩き方のパターン)を習得しているという意味だ 5.カレンの演奏には何が欠けているのか?力強さとアフタービートだ。リズムの粘りと言っても良い 6.カレンはドラム・セットとの比較で小さく見えないか?
この頃のカレン・カーペンターはすでに痩せすぎている。下のエラ・フィッツジェラルドとのデュオではホラー映画のレベルまで痩せている。
http://www.youtube.com/watch?v=Jquc8iFj6sY
頬の落ち込みが不気味だ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Karen_Carpenter
上の英語wikiの説明によると
1.カレン・カーペンターは拒食症だった 2.彼女はlaxative(腸を緩くする薬)を使っていた(人為的に下痢をおこした) 3.彼女は嘔吐剤を使い食べたものをはき出した 4.しかし小食であれば出す物も無いわけで恐らく彼女は過食症でたくさん食べ、食べてははき出した(ようだ)
80年代に入り、健康の問題から入院し点滴治療を受けた。この治療で10kg以上体重が増えた。これが心臓負担になり心臓発作をおこしたというのがストーリーのようだ。
引用(英語wiki)
She
and Richard made their first recordings in 1965 and 1966. The following
year, Karen began dieting. Under a doctor's guidance, Karen, who stood
5'5" (165 cm) and weighed 145 pounds (66 kg), went on the Stillman
Diet. She rigorously ate lean foods, drank 8 glasses of water a day,
and avoided fatty foods. By September 1975, Karen's weight dropped to
91 pounds (41 kg).[5]
引用終わり
引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BA
歌
手であると同時にドラマーでもあったカレンは、1974年まではしばしばドラムも演奏していた。リチャードによれば、カレンは自分を「歌えるドラマー」だ
と考えていた。5フィート4インチ(163センチメートル)しかなかったカレンは、ライヴでドラムを演奏するとキットの陰に隠れてよく見えなかった。やむ
をえず2人は、バラードの時にはカレンが立ち上がって歌い、それ以外のあまり有名でない曲の時には座るという妥協案を見出した。年が経つにつれ、カレンが
ドラムを演奏している時にも彼女のヴォーカルを求める声が高まるようになり、カレンがドラムの前に座る時間は徐々に減っていった。1976年のアルバム
『見つめあう恋』のころには、カレンはまったくドラムを叩かなくなっていた
引用終わり
日本語wikiと英語wikiでは身長が2cm違う。164cm程度だったのだろう。これはアメリカ女性の平均身長であり、別に低い訳ではない。問題はドラム・セットは身長175以上の男性を想定して作られている点だ。結果的に彼女の音には迫力がない。
引用(日本語wiki)
1979
年、リチャードはカンザス州のリハビリ施設で薬物依存症からの回復を試みる。その間にカレンはニューヨークに渡って、プロデューサーにフィル・ラモーンを
迎えた初のソロ・アルバムの制作を決意する。彼女はこのアルバムのためにより大人向けでディスコ調の作品を選び、これまでのイメージを払拭しようと努め
た。だが、1980年の初頭に完成したソロ作品に対し、リチャードやA&Mは難色を示した。カレンにとっては不幸なことに、このアルバムは発表し
ないものとする決定が下され、この作品の制作費として印税から50万ドル以上の負債を請求されたのである。この決定に怒りを覚えつつも、ある面では慣れぬ
仕事から解放されたカレンは、依存症から立ち直った兄と新しいアルバムの制作にとりかかる。
引用終わり
http://www.youtube.com/watch?v=EmUJcxto5N8&feature=related (お蔵入りしたアルバムからの曲の1つ)
はっ
きり言って面白くない。当時、流行っていたディスコ・サウンドに挑戦しているのはわかるのだが、彼女のリズム感そのものが鼓笛隊のそれであり、決して黒人
的な粘るものではない。私の推測ではカレンのソロ・アルバムが発売すらされなかったことが以前からあった精神症状を悪化させ、過食と拒食を繰り返し体力を
消耗し、最後は心臓発作をおこしたということになる。
この人は透明感のある良い声をしてるのだが、70年代後半にはすでに十分な名声を築い
たのだから引退すれば良かったのだ。同時にカレンのリズム感/ドラム技術はうまい鼓笛隊メンバー程度であり、明らかに1980年以降の時代では無価値に
なっていた。だが自分がドラムを叩いて楽しむのは自由であり、ドラムを趣味にすれば良かったのだ。
何故、引退できなかったのかは不明だ。レコード会社が許さなかったのかも知れない。
女性ドラマー、シーラ・エスコベードのドラム・ソロ(これはうまい、迫力がある) http://www.youtube.com/watch?v=IrBK2cmqo34&feature=related
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