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社会の豊かさを考えるパート1 2012.04.15
ここでの私の考えは
1.日本に限らず、何処の国であろうと国民のほとんどは知的労働に向かない 2.ここでは知的労働=デスクワークと単純化する 3.国民には身長の高い人も低い人もおり、太った人も痩せた人もいる 4.当然ながら知的労働に向いている人々はわずかしかいない 5.昔の日本では製造業が盛んであり国内に工場があった 6.そうした工場が知的労働に向かない多くの国民に職を提供した 7.結果として豊かな中産階級が生まれた 8.ところがバブル崩壊以降に栄えたのはIT産業と金融である 9.どちらもデスクワーク主体である 10.ITも金融も雇用絶対数が少ない 11.知的労働に向かない多くの国民は、工場での職を失った 12.何故なら工場が海外に行ったからだ 13.だが代わりに勃興してきたITや金融は工場での職を失った人々の受け皿にならない。それは産業形態が根本的に異なるからだ 14.結果として中産階級が大きく傷んだ 15.中産階級が支えていた大衆文化も激しく劣化した 16.こうした悪循環を断ち切るには、国内に「工場での組み立て工」に相当する職を創らなければいけない
というものである。
実
は上の仮定はそのままアメリカにもあてはまる。アメリカが強かった時代、アメリカ製造業も強かった。そうした製造業の雇用が中間層を生み出した。典型的に
は自動車産業だ。ところがアメリカ製造業の衰退の後に台頭したIT産業と金融は平均的アメリカ人に優しくなかった。結果としてアメリカは巨大格差の国にな
り、昔は中間層が支えた豊かな文化も衰退した。これはほぼ事実だろう。
では、どうすれば良いのかは次回以降に考える(笑)。ここで私が思い出すのはストーミー・マンデー・ブルースである。
引用
http://music.yahoo.co.jp/answers/detail/1122171276/
質問
stormy mondayの歌詞を教えてください
答え
奴らは嵐の月曜と呼ぶが火曜だってひどいもんさ (くりかえし) 水曜はもっと悪くて木曜も負けないぐらい悲しいぜ 金曜には鷲がとび土曜には俺は遊びにいく (くりかえし) 日曜には教会に行きひざまずいて祈るのさ 神よお慈悲を俺を哀れんでください 神よお慈悲を俺は不幸のどん底なんです あの娘に夢中なんです どうかあの娘を返してください。 BY・・・Tボーンウォーカーの歌詞より!!
引用終わり
上の訳文はひどい誤訳だ。本当の意味は
「軍隊生活はつらいぜ。月曜日から死にそうだ。火曜日も変わりない。水曜日は最悪で木曜日も大差ない。金曜日に給料が出たら土曜日に遊びにいくんだ。日曜日には教会でお祈りをする。神よ、どうかオレを助けてくれ。オレにお似合いの女が必要なんだ」
偉そうに書いてるが私も1980年代は上の意味を知らなかった。ここでのミソは当時の米軍は週給制度であったこと、金曜日が給料日(payday)だったこと、イーグル(鷲)はお札の隠語であることなどである。
このブルース名曲は下で聴ける:
http://www.youtube.com/watch?v=hVR8lg1YLuc
米軍は世界的にあまり評判が良くないのだが(笑)、少なくとも彼らが公民権を得る前のアメリカ黒人に職を与えたことは評価すべきだろう。そう言えばベトナム戦争で戦った米軍兵士にはラティーノが多かったという話もある。戦争で戦えばアメリカ市民権が得られたからだ。
アメリカ黒人音楽の全盛期が何時だったかは色んな意見があるがモータウン・サウンドの時期がそうだったと私は考える。
引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3
モータウン(Motown;Motown Records)とは、アメリカ・デトロイト発祥のレコードレーベル。自動車産業で知られるデトロイトの通称、「Motor town」の略。
1959
年、ベリー・ゴーディ・ジュニアによって設立、ソウルミュージックやブラックミュージックを中心に据えて大成功した。1972年には本店をロサンゼルスに
移転、1993年よりニューヨークに本店を構えている。2011年より現在はユニバーサル・ミュージック・グループの一部門、アイランド・デフ・ジャム・
ミュージック・グループの傘下にある。
1950年代からミュージシャンとして活動していたベリー・ゴーディ・ジュニアがジャズのレコード
店を開いたのが始まり。しかし店は不振により、閉店に追い込まれる。一時は負債の返済のため、デトロイトのGMの組立ラインで働かざるを得なくなるが、そ
れでも音楽に対する情熱を絶つことなく、自身で書いた曲をR&Bシンガーに売り込んで回る。その甲斐あって、R&Bシンガーのジャッ
キー・ウィルソンらに認められ、自身の曲がとり上げられるようになる。
意を決したゴーディは「黒人向けのR&Bではなく、白人層
にも自分たちの音楽の良さを理解して欲しい」という思いから、銀行から600ドルを借金し、モータウンレコードを設立する。最初はMotownと
Tamlaの2つのレーベルのみだったが、1961年にゴーディ自らが発掘した、スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズの
"ショップ・アラウンド ("Shop
Around")"が全米チャートの上位に送り込まれたのを皮切りに、その後もダイアナ・ロスが在籍していたことで知られるシュープリームスなどにより、
次第にヒット曲を重ね、大型レーベルへと成長してゆく。
ヒッツヴィルUSA。ミシガン州デトロイトウェスト・グラン
ド通り2648に位置し、1959年から1968年にかけてモータウンの本社であった。1985年にモータウン歴史博物館となった。また、ゴーディは後に
モータウンのヒッツヴィルUSAスタジオとなる物件を1959年に購入している。物件の後方は写真スタジオであったが、小さな録音スタジオに改装し、2階
を当時の住居用としていた。
ファミリー企業のインディペンデント・レーベルを、10年で大企業にしたという意味で、ゴーディはアメリカ
ン・ドリームの体現者である。しかも、黒人としてそれをやり遂げたことは当時として画期的だった。その企業活動の原点は、社長が"The Sound
of Young America"のスローガンの元に綿密に描いた戦略に基づく、広い受け手を狙った音楽作りである。
1972年に、本
店をロサンゼルスに替え、この地における音作りに加え、同年からダイアナ・ロス主演でビリー・ホリデイの生涯を描いた映画『レイディ・シングス・ザ・ブ
ルース』をヒットさせるなど、ハリウッドにおける映画製作にも力を入れ、拠点を1970年代から次第に西海岸へ移す。
主なアーティスト
アイズレー・ブラザーズ エドウィン・スター エリカ・バドゥ エル・デバージ 元デバージ コモドアーズ シャーリーン シリータ・ライト スティーヴィー・ワンダー スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズ スプリームス(シュープリームス) スピナーズ ダイアナ・ロス 元スプリームス テンプテーションズ ジャクソン・ファイヴ フォー・トップス ブライアン・マックナイト プリンス (2006年-) ブルース・ウィリス - 俳優として活躍 ボーイズIIメン マーヴィン・ゲイ マーヴェレッツ マーサ&ザ・ヴァンデラス マイア マイケル・ジャクソン 元ジャクソン・ファイヴ、後にEPICへ移籍。 ザ・ミラクルズ メアリー・ウェルズ ライオネル・リッチー リック・ジェームス ロックウェル ベリー・ゴーディ・ジュニアの息子だったR&Bシンガー。 レミー・シャンド
引用終わり
つ
まりアメリカ黒人音楽の全盛期とアメリカ自動車産業の全盛期がほぼ重なっている。アメリカ自動車産業が黒人を工場組み立て工として雇った。これが黒人の社
会的および経済的な地位向上につながり黒人中間層が生まれた。彼らがモータウンを始めとした自分たちの音楽文化を支えた。だがモータウンが本社をカリフォ
ルニアに移しているところを見ると、製造業の拠点がラティーノ(主にメキシコ系)のより安い労働力を使える西海岸に移ったのだろう。そして日本の製造業が
瓦解する以前にアメリカの製造業は瓦解してしまう。
代わりに台頭したのがITと金融だ。こうした産業はアメリカ黒人を雇うだろうか?およそ雇いそうにない。マイクロソフト、アップル、グーグル、インテル、オラクル、こうした企業のイメージは昔使われたWASP(白人、アングロ・サクソン、プロテスタント)に近い。
つまりアメリカ製造業の衰退がアメリカ黒人の失職につながった。そしてアメリカ黒人中間層がいなくなり、自分たちの文化を支える力が無くなった。結果としてアメリカの音楽自体が衰退した。
というのが私の考えである。しかし上の考え方であるなら工場を受け入れた中国やタイ、マレーシアに文化活動がおきるような気がする。現実にはおきていない。ということは中国人は「労働にふさわしい賃金を得てない」のではないだろうか?
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