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死刑廃止論の奇妙な曲折 2012.04.27
引用
http://homepage2.nifty.com/shihai/shiryou/abolitions&retentions.html
下記は、死刑を全面的に廃止した国、通常犯罪のみ廃止した国、事実上廃止した国、存置国、という4つの分類における国別のリストである。
最後にあるのは1976年以降に死刑を廃止した国のリストである。リストは、この10年間で死刑を法律上廃止した国、または通常の犯罪については廃止していたがすべての犯罪について廃止することになった国が、平均して年に3カ国を超えることを示している。
1. 全面的に廃止した国 (法律上、いかなる犯罪に対しても死刑を規定していない国)
ア
ルバニア、アンドラ、アンゴラ、アルゼンチン、アルメニア、オーストラリア、オーストリア、アゼルバイジャン、ベルギー、ブータン、ボスニア・ヘルツェゴ
ビナ、ブルガリア、ブルンジ、カンボジア、カナダ、カボベルデ、コロンビア、クック諸島、コスタリカ、コートジボアール、クロアチア、キプロス、チェコ共
和国、デンマーク、ジブチ、ドミニカ共和国、エクアドル、エストニア、フィンランド、フランス、グルジア、ドイツ、ギリシャ、ギニアビサウ、ハイチ、バチ
カン市国、ホンジュラス、ハンガリー、アイスランド、アイルランド、イタリア、キリバス、キルギスタン、リヒテンシュタイン、リトアニア、ルクセンブル
ク、マケドニア、マルタ、マーシャル諸島、モーリシャス、メキシコ、ミクロネシア、モルドバ、モナコ、モンテネグロ、モザンビーク、ナミビア、ネパール、
オランダ、ニュージーランド、ニカラグア、ニウエ、ノルウェー、パラウ、パナマ、パラグアイ、フィリピン、ポーランド、ポルトガル、ルーマニア、ルワン
ダ、サモア、サンマリノ、サントメプリンシペ、セネガル、セルビア(コソボ含む)、セーシェル、スロバキア、スロベニア、ソロモン諸島、南アフリカ、スペ
イン、スウェーデン、スイス、東チモール、トーゴ、トルコ、トルクメニスタン、ツバル、ウクライナ、英国、ウルグアイ、ウズベキスタン、バヌアツ、ベネズ
エラ
2. 通常犯罪のみ廃止した国 (軍法下の犯罪や特異な状況における犯罪のような例外的な犯罪にのみ、法律で死刑を規定している国)
ボリビア、ブラジル、チリ、エルサルバドル、フィジー、イスラエル、カザフスタン、ラトビア、ペルー
3. 事実上の廃止国 (殺人のような通常の犯罪に対して死刑制度を存置しているが、過去10年間に執行がなされておらず、死刑執行をしない政策または確立した慣例を持っていると思われる国。死刑を適用しないという国際的な公約をしている国も含まれる。)
ア
ルジェリア、ベニン、ブルネイ、ブルキナファソ、カメルーン、中央アフリカ共和国、コンゴ共和国、エリトリア、ガボン、ガンビア、ガーナ、グレナダ、ケニ
ア、ラオス、リベリア、マダガスカル、マラウィ、モルディブ、マリ、モーリタニア、モロッコ、ビルマ(ミャンマー)、ナウル、ニジェール、パプアニューギ
ニア、ロシア、大韓民国、スリランカ、スリナム、スワジランド、タジキスタン、タンザニア、トンガ、チュニジア、ザンビア
ロシアは1996年8月に死刑の執行停止を導入した。しかしながら、チェチェン共和国では1996年から1999年の間に執行があった。
4. 存置国 (通常の犯罪に対して死刑を存置している国)
ア
フガニスタン、アンティグアバーブーダ、バハマ、バーレーン、バングラデシュ、バルバドス、ベラルーシ、ベリーズ、ボツワナ、チャド、中国、コモロ、コン
ゴ民主共和国、キューバ、ドミニカ、エジプト、赤道ギニア、エチオピア、グアテマラ、ギニア、ガイアナ、インド、インドネシア、イラン、イラク、ジャマイ
カ、日本、ヨルダン、クウェート、レバノン、レソト、リビア、マレーシア、モンゴル、ナイジェリア、朝鮮民主主義人民共和国、オマーン、パキスタン、パレ
スチナ自治政府、カタール、セントキッツネビス、セントルシア、セントビンセント・グレナディーン、サウジアラビア、シエラレオネ、シンガポール、ソマリ
ア、スーダン、シリア、台湾、タイ、トリニダード・トバゴ、ウガンダ、アラブ首長国連邦、米国、ベトナム、イエメン、ジンバブエ
1976年以降死刑を廃止した国
1976: ポルトガル(すべての犯罪に対して)
1978: デンマーク(すべての犯罪に対して)
1979: ルクセンブルク、ニカラグア、ノルウェー(すべての犯罪に対して) ブラジル、フィジー、ペルー(通常の犯罪に対して)
1981: フランス、カボベルデ(すべての犯罪に対して)
1982: オランダ(すべての犯罪に対して)
1983: キプロス、エルサルバドル(通常の犯罪に対して)
1984: アルゼンチン(通常の犯罪に対して)
1985: オーストラリア(すべての犯罪に対して)
1987: ハイチ、リヒテンシュタイン、ドイツ民主主義共和国(注1)(すべての犯罪に対して)
1989: カンボジア、ニュージーランド、ルーマニア、スロベニア(注2)(すべての犯罪に対して)
1990: アンドラ、クロアチア(注2)、チェコスロバキア連邦共和国(注3)、ハンガリー、アイルランド、モザンビーク、ナミビア、サントメプリンシペ(すべての犯罪に対して)
1992: アンゴラ、パラグアイ、スイス(すべての犯罪に対して)
1993: ギニアビサウ、香港(注4)、セーシェル(すべての犯罪に対して) ギリシャ(通常の犯罪に対して)
1994: イタリア(すべての犯罪に対して)
1995: ジブチ、モーリシャス、モルドバ、スペイン(すべての犯罪に対して)
1996: ベルギー(すべての犯罪に対して)
1997: グルジア、ネパール、ポーランド、南アフリカ(すべての犯罪に対して) ボリビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ(通常の犯罪に対して)
1998: アゼルバイジャン、ブルガリア、カナダ、エストニア、リトアニア、イギリス(すべての犯罪に対して)
1999: 東チモール、トルクメニスタン、ウクライナ(すべての犯罪に対して) ラトビア(注5)(通常の犯罪に対して)
2000: コートジボアール、マルタ(すべての犯罪に対して) アルバニア(注6)(通常の犯罪に対して)
2001: ボスニア・ヘルツェゴビナ(注7)(すべての犯罪に対して) チリ(通常の犯罪に対して)
2002: キプロス、ユーゴスラビア(現在ではセルビアとモンテネグロの2つの国)(すべての犯罪に対して)
2003: アルメニア(すべての犯罪に対して)
2004: ブータン、ギリシャ、サモア、セネガル、トルコ(すべての犯罪に対して)
2005: リベリア(注8)、メキシコ(すべての犯罪に対して)
2006: フィリピン(すべての犯罪に対して)
2007: アルバニア(注6)、クック諸島、ルワンダ(すべての犯罪に対して) キルギスタン、カザフスタン(通常の犯罪に対して)
2008: ウズベキスタン、アルゼンチン(すべての犯罪に対して)
2009: ブルンジ、トーゴ(すべての犯罪に対して)
引用終わり
著作権尊重の立場をとる私としては長い引用になってしまった。とりあえず私が気が付いた疑問:
1.アンゴラが1992年に死刑を廃止しているが、他方で内戦は継続した。これは奇妙だ。
2.ハイチも1987年に死刑を廃止したがパパ・ドックあるいはベイビー・ドックのもとトントン・マクート(秘密警察)による「事情聴取」は日常的に行われ、多くのハイチ人が家庭に戻ることは無かった。これは死刑より悪質だ。
3.ポルトガルが1976年、世界最初に死刑廃止を行ったようだ(上のサイト情報を見る限り)
4.ポルトガルの独裁政権崩壊、民主的な(!)軍事クーデター、植民地の独立、旧植民地での死刑制度廃止がほぼ同時期に起きている
5.ポルトガルに限らないが、ラテン圏では日常的に拷問や冤罪での死刑が行われてきた
6.その反動として死刑廃止が実行されたようだ
7.旧植民地に関しては恐らく、旧宗主国と法制度を合わせる必要があったのだろう
8.その理由は、自国の立法能力の欠如かも知れないし旧宗主国との制度すりあわせかも知れない
9.従って、アフリカで死刑廃止を法律で決めている諸国は別に人権に配慮した訳ではない
10.アムネスティー・インターナショナルの「死刑廃止が世界の趨勢だ」という主張には相当な誇張がある
11.ラテン・アメリカにおいても拷問は普通に行われた。例えばチリのピノチェット政権だ。
12.ラテン文化では明暗のコントラストが極端にふれる
13.どうも暗黒時代の恣意的な、政権の欲しいがままの拷問や死刑への反動としてスペインやポルトガルで死刑廃止が進められ、旧植民地に広まったようだ
14.欧州でのドイツや英国(アングロ・サクソン)あるいは北欧の意見は不明だが、欧州統合という理念の下で、「ラテン化」したようだ
15.本意はともかく欧州ラテン圏諸国の死刑に関する主張を飲んだ
16.だが英語圏アフリカやカリブが死刑制度を維持しているところを見ると死刑廃止は本心では無いらしい
ポルトガルの暗い歴史
引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%AC%E3%83% AB%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
サラザールの独裁
第
一次世界大戦では連合国側につき、戦勝国となった。しかし、その後の労働運動の激化や大恐慌により政治・経済が混迷を極める中、1932年に経済学者のサ
ラザールが首相に就任した。サラザール政権は第二次世界大戦では中立を維持し、巧みに戦争の影響を回避する政策を展開した。しかし戦後は、アフリカの植民
地における独立運動の弾圧や、国内においてはエスタド・ノヴォと呼ばれる権威主義的独裁体制のもと、秘密警察や検閲などによる国民の政治・言論活動の抑圧
を行った。これらの行為は、当然のことながら、隣国スペインのフランコ独裁などと並んで、国際社会による批判にさらされることともなった。しかし当時は冷
戦下にあり、多くの西側諸国は、イベリア半島の「共産化」を怖れるという消極的理由で、結局はこれらの独裁政権を認めていた。
民主化と現在
1968
年のサラザールの引退後、カエターノ政権が成立。独裁体制は維持されようとしていたが、1974年4月25日、「カーネーション革命」と呼ばれる青年将校
によるクーデターが勃発。カエタノがスピノラ将軍に政権を委譲。スピノラは秘密警察や検閲を廃止する民主化政策を矢継ぎ早に断行し、「20世紀最長の独裁
政権」は終わりを告げた。
1975年以降モザンビーク、アンゴラなどアフリカの植民地が次々に独立。植民地支配を基盤とした「海上帝国」
としてのポルトガルの体制は終わりを迎えようとし、「ヨーロッパへの回帰」が進められた。1986年には欧州共同体に加盟。さらに1987年ソアレスとシ
ルバ首相による中道左派政権が誕生し、堅調な経済政策を布いた。この年には中華人民共和国との協議でマカオの返還が決定し、1999年にマカオが中国に返
還された。
引用終わり
ここからは私の印象論になるのだが、ポルトガルが一気に死刑廃止に向かったのはそれ以前に秘密警察による拷問など恣意的な刑罰が行われたことへの反動と考える。それが何故、欧州全体の意見/考えとなったのかは現時点で不明だ。
スペインやポルトガル、そしてフランスという欧州ラテン諸国の旧植民地が旧宗主国の法制度にあわせたために死刑廃止が途上国も含めた世界の趨勢のように見える。だが、それは「真実」ではない。
結局のところ、拷問も死刑廃止もラテン文化の極端主義の一部のようだ。だが、そうした極端主義を利用しようとするアムネスティー・インターナショナルのような組織があるのも事実だ。
日本がどういう対応を取るかは次の文章で書く予定だが、とりあえず死刑廃止がどのようにして世界に広まったかは国民全てが理解すべきだと私は考える。
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