日本の死刑を考える
2012.04.28

ま ず自分が愛情や愛着を持つもの(者・物)が破壊された時、破壊した相手に怒りを抱くことは極めて自然な行為であり、誰もこれを否定することはできない。だ が、そこで相手に直接、怒りをぶつけ報復をすると、それはリンチ(私刑)になる。よって国が被害者の怒りをどうやって償うかを代行する必要がある。

こ こで死刑が適切かどうかはあまり意味が無いのではないか?国民の怒りが収まらないなら即時死刑もありうるし、国民が「犯罪者の人権」を尊重するようになれ ば死刑の廃止もありうる。個人的には、怒りと報復の気持ちは人類の本能の一部だから決して死刑廃止を容認するようにはならないと思う。だが「目には目を、 歯には歯を」のハムラビ法典の時代からすると人々の意識が変わってきたのも確かであり、将来の日本において死刑が廃止される可能性もある。

犯罪も人々の生存競争の一部だ。そこで不正をした者が勝ち残るようでは社会そのものが劣化する。だが、生存競争に敗れた者に最低限の安全網を提供すること、及び敗者復活戦を用意することは近代的な生存競争の基本原理だと私は考える。

日本の死刑には幾つか問題があると考える:

1.警察、検察、司法が誤りをおかした場合、どうやって訂正をするのかが決められてない

2.いつ執行するのかの部分に裁量が働く

3.自分の犯した行為の誤りに気が付いた人が自ら責任を取ることは許されるべきだ

1.は手続きを明確にすれば良いと思う。人間のやることだから間違いはある。間違った時にどうやって過ちを訂正するかの手続きである。

2.は一律、10年の猶予をおいた方が良いと個人的に考える。新しい証拠や証人がでてくる可能性があるからだ。

3.は微妙な問題だ。何故なら、死刑囚が自分で死を選ぶことを許そうと提案しているからだ。だが日本では宗教的なタブーが比較的少ないのも事実だ。また死刑囚が自分の過ちに気が付き自ら命を絶つのを止める理由もないように思える。

ハムラビ法典の主張は人間の本能を正確に反映している。だが、近代社会においては本能を理性が抑えることが推奨される。

という訳で、日本の死刑制度は改善の余地があるものの、大きく間違ってはいない、現時点では死刑廃止は国民感情として受け入れられないというのが私の考えだ。

前 の文章の繰り返しになるが、奇妙なのは死刑廃止論が人権の実態を無視して広がっていることだ。例えば1986年に死刑を廃止したハイチにおいて秘密警察に よる「処刑」が延々と継続された。正直なところ、日本の死刑制度の見直しをするより、「世界の死刑廃止運動の広まり」なるものをきちんと検証したほうが よっぽど生産的と考える。

何故なら、死刑廃止の目的は人権の尊重であるべきで、死刑を廃止しながら秘密警察を持つような行為は明らかに人権軽視行為だからだ。