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社会学に見られる奇妙な歪み 2012.05.24
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をはじめて多くの社会学者の意見を読むようになった。多くの人が在日、沖縄、アイヌ、フェミニズム、社会格差に関して自己主張をされていた。雰囲気として
は昔のマルクス経済学に近い。冷戦終了とともにマルクス経済学が日本で勢いを失った。これは事実だ。それまで日本の経済学主流はマルクス経済学だったの
だ。
私は何となく、マルクス経済学に向かうような傾向の人が社会学に向かったのかと思っていた。ところで日本の社会学者には奇妙な癖が見られる。それは障害者問題、特に精神障害者問題を弱者問題として触れない点だ。何故、触れないのだろう?
理
由は実に簡単で、日本の社会学がアメリカの社会学の輸入モノマネだからだ。そしてアメリカにおいては障害者を障害を理由に差別することがはるか昔に法律で
禁止されている。つまりアメリカ社会学的な文脈では「障害者差別を禁止する法律を作ったのだから、後は法律が守られれば良いはず」という考えらしい。
対
して、日本では障害者を障害を理由に差別することを禁止する法律が1つも無い。例えば、私がずっと問題にしている障害者基本法に何ら罰則規定が無い点を見
ると良い。結果として朝日新聞記者がネットにおいて「失語症躁鬱ニート部落民家無し貧乏人は首をつって氏ねよ」と書いても罰せられない。罰するための法律
が無いのだ。強いて言えば名誉毀損か。
要するに、アメリカにおいて障害者問題は法的な手当がすんだ社会学的問題でしかない。対して、日本
の社会学者は障害者問題に関してアメリカから輸入する論文や文献が無い。無いために日本の社会学者は障害者問題を出されると奇妙に黙り込む。何故なら引用
する適切な英語論文が無いからだ。
しかし、日本の社会学者は少数民族やフェミニズムに関してはアメリカ論文・文献を多く引用する。アメリカの研究が大好きだ。なら障害者基本法に罰則規定が無いことを問題提起すれば良いではないか?そうすれば社会学のレベルでアメリカに近づくことができる。
ところが、それすら為されない。それは日本の社会学者がよほど無能であるか、在日・アイヌ・沖縄・フェミニズムと結びついた利権ビジネスの一部だからだろう。
端的に言ってしまえば、日本の社会学者が(精神)障害者問題をほとんど取り上げないのは、取り上げてもメディアの話題にならないから、つまり儲からないからとなる。そう考えないと説明できないではないか?
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