良い優生学、悪い優生学
2012.06.05

私が大学を卒業し、企業に就職する際に大変な就職差別にあった。それはどうも私の兄が統合失調症であることが理由のようだ。

総 務/人事から広告局に配置換えになった人に私は自分の状況を説明し「私は根拠のない被害妄想に取り憑かれているのだろうか?」と訊いたことがある。彼の返 事は「総務が調べあげるんだよ。現にオレが総務に配属された最初の年にやった仕事がそれだった」というものだった。どうやら私の妄想では無いようだ。

一応、どういう会社の面接を受けて、どういう対応を受けたかを書いておこう。

採用: 朝日新聞社

(ただし採用通知は2月28日に出た。80年代の慣習では3月1日から大学事務局が春休みに入るため、この日が就職締め切り日だった。さらに他の採用者は私より10日程度、早く通知されていた)

留保付き採用: 某英字新聞社
最終面接: 日本経済新聞社
最終面接の1つ前: 電通
最終面接の2つ前: 三井物産
一次面接: 40数社(残り全て)

ところで兄が統合失調症だから弟を就職市場からはじくというのは妥当な行為なのだろうか?大体、兄がキチガイなら弟もキチガイと決まってるのか?社会がそう見なすなら、弟である私に精神障害者年金手当を出したらどうなんだ?

「い や、ここでは確率が重要だ」と言われるかも知れない。だが、糖尿病の家系の人は会社に入り糖尿病を発症する確率が高い。この確率は何故、無視して良いの か?求職者全てのDNAを採取して分析し、その結果を勘案して採用すれば「そうした不安」から解消されるのだが何故、精神病だけを狙い打ちするのか?それ は、ただの偏見に基づく差別ではないのか?

私が自分の受けた就職差別を30年以上、経った今も問題にしているのは、根拠のない優生学差別が日本社会で続いていると考えるからだ。

と ころで優生学は悪い学問なのだろうか?様々な動植物の品種改良はまさに優生学の賜(たまもの)だ。そうした品種改良ビジネスの頂点にモンサントのような種 子ビジネスがあり、モンサントの日本代理店をやってるのが住友化学であり、住友化学の会長が日本経団連会長の米倉弘昌である。

http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65775032.html

ブログをソースにするのはどうかと思うが国会答弁が書き写されているので、あえてソースとして指定した。つまり人間以外の生物に関しては、幾分か保留条件がつくものの優生学は普通に活用されている。だが、人間を含まない優生学に関しても既に疑問の声が挙がっている。

では人間の優生学は何故、不味いのだろう?それは人間の「品種改良」を認めると最終的に自分たち自身が否定されるからだと考えている。以下のような状況を考えていただきたい。

1.ある高級住宅地に教育熱心なかたが集まった

2.太陽の黒点異常があった翌年以降、生まれる赤ちゃんは全てIQが最低でも150だった

3.彼らは10歳で成熟した。その時に戦略的に自分たちの結婚相手と子孫作りを考えた

4.彼らは圧倒的な知性を持っていたので地球を支配するようになった

5.彼らは自分の親や祖父・祖母を知的障害者として保護した

6.ある日、彼らは「一般人」はあまりに劣っており生命を保護する理由が無いと考えた

7.それから数十年でホモ・サピエンスは死に絶えた

ホモ・サピエンス自体が、その前の「人類」を滅亡させることで生き延びてきた。従って上の考え方/シナリオに不自然な点は何もない。ここでの私の結論は「人の品種改良が公的に認められてないのは、それが自分たち自身の否定につながる可能性があるからだ」というものだ。

ウイキペディアは優生学に関してどのように述べているか?

引用

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%84%AA%E7%94%9F%E5%AD%A6

優 生学(eugenics、ユージェニクス)は応用科学に分類される学問の一種で、「生物の遺伝構造を改良する事で人類の進歩を促そうとする科学的社会改良 運動」とも一般に定義される。医学者を中心とした優生学者は優生学(ユージェニクス)という発想が科学的であると考えていた。背景には著名な生物学者で進 化論・自然選択説を発見したダーウィン、及び人間社会においても生物淘汰による進歩を促すべきとする社会ダーウィニズムに基づいていた。

優 生学は20世紀初頭に大きな支持を集めたが、その最たるものが生物学者オイゲン・フィッシャーらの理論に従って行われたナチス政権による人種政策である。 他にナチス政権はオトマー・フライヘル・フォン・フェアシューアー(Otmar Freiherr von Verschuer)による双生児研究(双生児研究(ナチス))など数多くの優生学上の研究を行っている。

ナチとの繋がりで研究や理論が 具体化する一方、公での支持は次第に失われていった。ナチスの人種政策という蛮行が多くの倫理的問題を引き起こした事から、大衆や一部の科学者は優生学を 「ナチの手先」「科学界に相応しくない存在」とやや感情的に評価し、研究成果の価値そのものは吟味せずにタブー化しようとした。しかし近年の遺伝子研究の 進歩は優生学者が説いた「生物の遺伝改良」が現実化できるという可能性を結果として示す事になった。遺伝改良が社会上有益かどうか、また仮に有益だとして も倫理上許されるのかどうかなど、優生学的な研究の是非が問い直されつつある。

中略

優生政策

優生政策は歴史的に次の2つのカテゴリーに分けられてきた。

積極的優生学

子孫を残すに相応しいと見なされた者がより子孫を残すように奨励する。

消極的優生学

子孫を残すに相応しくないと見なされた者が子孫を残すことを防ぐ。

積 極的優生学は優れたtraits(形質)を持つと思われた人間を増やすことでpositive eugenics、典型的には複数の子供を持つ優れた素質を持つ両親を表彰したり、金銭的援助を与えるという手段を採っている。結婚相談のような比較的穏 健な施策は、極早い時期から優生学的観念に連関を持っていた。

消極的優生学は劣ったtraits(形質)を持つ人間に生殖を思い留ませるものでnegative eugenics、これは断種や人種差別、ジェノサイドにまで発展した。

引用終わり

私が、自分が受けてきた差別が優生学差別(消極的優生学差別)と考える理由:

1.まともな職を得る機会が与えられなかった

(無職あるいは劣悪な職では生活を維持するためのお金を得られない。従って「自然消滅」する)

2.結婚などの機会で差別することで「悪い血」が社会に広まるのを防ぐ

(制度化されてない断種)

では日本には積極的優生学は無いのか?あると思う。官僚の世界である。

まず自分が体験したことを話そう。

1980 年代の終わり頃だった。偶然に名古屋大学法学部を卒業し労働省に入省した女性と話す機会があった。彼女は「課長が毎週、お見合いの話を持ってくる。相手は 全て東大卒」と言った。ここまでは事実である。女性の名前も覚えているが、名前を出さなくても誰かわかる人にはわかる。

これは積極的優生学では無いのか?つまり官僚になるだけの優れた人々の血を東大を起点に固めようという考えが見える。

(注意していただきたいが、何が「優れた形質」であるかは別に定義されてない。東大卒が優れた形質と考えることに論理的な矛盾はない)

実 は私も国家公務員試験を受けることを考えた。この手の試験には自信があったからだ。そこで当時のゼミ先生であった猪木武徳氏(労働経済学者)に相談したと ころ「民間ではねられる理由があるなら官僚を目指すだけ無駄だよ」と指摘された。これが本当かどうかは不明だが、猪木氏はそうした労働市場実態を専門に研 究する経済学者だった。嘘だと考える理由が無いので、官僚市場においては民間市場を上回る優生学差別が行われているのだろう。

以上、長々と書いてきたが、日本社会で行われてきたお寒い優生学差別の実態を少しでもご理解いただけただろうか?