日本の民主主義が終わる時
2012.06.22

日本は民主国家である。日本国憲法で規定されている。ところが民主主義は政治ないしは政府のありかたに関する抽象的な概念であり、それを具体化する必要がある。その具体化装置が選挙である。

英語wiki引用

http://en.wikipedia.org/wiki/Democracy

Democracy is an egalitarian form of government in which all the citizens of a nation together determine public policy, the laws and the actions of their state, requiring that all citizens (meeting certain qualifications) have an equal opportunity to express their opinion.

 In practice, "democracy" is the extent to which a given system approximates this ideal, and a given political system is referred to as "a democracy" if it allows a certain approximation to ideal democracy. Although no country has ever granted all its citizens (i.e. including minors) the vote, most countries today hold regular elections based on egalitarian principles, at least in theory.

most countries today hold regular elections based on egalitarian principles, at least in theory.

引用終わり

上の英語wikiが書いているように民主主義と念仏を唱えても民主主義が実現する訳ではない。選挙を通して選ぶ過程で国民の意思が反映されることが重要なのだ。

2009 年8月の衆議院選挙で民主党は大勝した。だが、彼らが約束したマニフェスト(政党公約、選挙公約)は現時点において何ひとつ実行されてない。有権者との約 束を破ったのだが、破ったことに対し何ら罰則を受けていない。ということは、今後の日本の選挙においては政党はどんな夢物語を公約としても良いことにな る。何故なら、民主党が前例を作っているからだ。

ということは次の選挙において、政党公約を何らかの基準に投票するのは意味がない行為になる。

候 補者個人の考えや人格を評価して投票することは可能なのだが、しかし今、審議されている消費税増税法案を見ると良い。野党である自民党は議員に対し党議拘 束をかけ除名で脅している。ということは、どれだけ優れた見識を持っていても政党に潰されるという前例ができてしまう。

そうなると選挙で何を基準に投票すれば良いのか?政党の公約は信用できない。これは民主党マニフェストで謳われたことで実行されたことが(実質)1つもないことが証明している。

他方で、候補者個人の特性に賭けるのも危険だ。何故なら、日本の政治は基本的に政党政治であり、政党が党議拘束をかけてきた場合、個人の意思は無意味になるからだ。

も し、次の選挙があっても「投票する基準」が存在しないのだ。政党は有権者を裏切る、個人的に優れた議員は政党により圧殺される。つまり、日本の選挙は実質 的に死んだのだ。何故なら有権者の考えを投票行動で国政に反映させることが不可能であることが消費税増税審議で明らかになったからだ。

日本の選挙制度が官僚か誰かに操作される飾り物を選ぶだけなら、それは選挙ではない。見栄えの良い操り人形作成儀式である。

民主主義という抽象概念を具体化させる手段が選挙なのだが、その選挙が官僚の操り人形選定にしかなってない。なら日本の民主主義は死んだのだろう。

例え日本の民主主義が死んでも復活できると言われるかも知れない。そうだろうか?不謹慎な例えかも知れないが、一度でも天皇制度が廃止されてしまえば、2000年以上続いた制度も終わる。再開したところで、一度切れたという厳然たる事実は残る。

もし日本の民主主義が一度、死ぬなら日本の民主主義の歴史はゼロに戻され、アフリカ諸国と同じレベルからやり直すことになる。

私の考えは間違っているだろうか?