第2のゾルゲ事件
2012.07.03

引用

朝鮮日報(2012年2月7日)
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/02/07/2012020700649.html

朝鮮総連崩壊のため派遣の国情院職員、北に機密漏えいか ファン・ジャンヨプ氏の訪日など8件が流出4級職員が解任を不服として裁判所に提訴

「北朝鮮に渡った情報は機密ではない」

日本で情報収集活動を行ってきた国家情報院の職員が、8件の機密を漏えいしたとして解任されたことが2012年2月7日までに分かった。国情院によると、これらの機密の一部は北朝鮮の情報要員の手に渡っていたという。

国 情院は在日本朝鮮人総連合会(以下、朝鮮総連)の組織を崩壊させるため、2009年6月から在日韓国大使館に国情院海外情報官4級のC氏を派遣した。とこ ろがC氏は09年10月から11年2月にかけて、日本のメディア関係者や市民団体に機密を漏えいしたとして摘発された。

C氏は2009年10月に日本の海上保安庁調査官E氏に会い「中井洽国家公安委員長に会う」「ファン・ジャンヨプ氏が12月ごろ日本にやって来る予定」などの情報を漏らした。

国情院の調べによると、これらの情報は日本の民放テレビ記者を通じ、マレーシア駐在の北朝鮮偵察総局所属の工作員に伝えられたという。偵察総局はファン・ジャンヨプ氏の暗殺や、哨戒艦「天安」爆沈を行った北朝鮮の対南工作機関だ。

国 情院によると、C氏は2010年7月にも日本の日刊紙記者A氏に「(金賢姫〈キム・ヒョンヒ〉元死刑囚の訪日をめぐり)中井委員長が田口八重子さん(北朝 鮮拉致被害者)の生存情報を伝えた」と述べ、さらに11年2月には「日本の外相が外務省の担当者をコンゴに派遣し、現地で北朝鮮の担当者と接触させた」な どと語ったという。国情院はこれらの情報も北朝鮮のスパイに伝わったとにらんでいる。田口八重子さんは1978年に北朝鮮に拉致され、81年から2年間、 金賢姫元死刑囚に日本語を教えたとされている。

2010年10月に北朝鮮が延坪島を砲撃した際、C氏はテレビ朝日のC記者と電話や携帯メールなどで「北朝鮮は軍事施設を狙ったと思う。ただし性能がよくなかったため、命中はしなかった」と述べた。この内容も北朝鮮スパイに伝えられたことが分かっている。

国情院はC氏と親しい日本人記者A氏が随時、北朝鮮工作員に情報を伝えていた事実を把握し、直後からC氏に対する調査を行っていたという。

これら一連の事実は、C氏が解任を不服とし、5日にソウル行政裁判所に解任無効の訴えを起こしたことで明らかになった。国情院は昨年6月にC氏を解任し、C氏の直属の上司など3人も、国情院長名義の警告処分を受けていた。

こ れに対してC氏は「北朝鮮工作員に流れた情報は事実上、機密とはいえないもので、また通常の情報収集活動で出どころが隠されたものが北朝鮮に渡ったという 理由だけで解任するのは不当」「国情院は懲戒処分について事前に通知してこなかった。これは正式な手続きに反しているため、懲戒権の乱用に当たる」などと 主張している。

引用終わり

朝鮮日報は韓国の保守系新聞だ。「日本に対する偏見」を抜きにすれば上質の記事を書いている。韓国を代表する新聞である朝鮮日報が日本の新聞やTV記者たちがスパイ活動に従事したと報道したのだ。

だが、この事件を報道した日本の新聞社やTV局は存在しない。

何度も書いているが、偏向報道と言われるものは基本的に日本国憲法が保障する報道の自由の範囲で無問題と私は考える。中立なメディアなどどこにも無いのだ。

ただし、新聞は社会の公器である。TV局は日本国民の財産である電波を格安で使用している。そうである以上、自分たちの不祥事を隠し報道しない事は許されない。何故なら、新聞やTVはその公益性・公共性故に、社屋地用に国有地が格安払い下げられてきた歴史があるからだ。

現実には、メディアにとり都合が悪いことは報道されない。この現象に対し、ネットでは「報道しない自由」という名前までついている。

本来であれば、新聞が一面で報道し、批判すべきことが報道すらされない。これは報道における「大政翼賛会」だ。ここで私が思い出すのはゾルゲ事件だ。ネットの百科事典ウィキペディアから引用する。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BE%E3%83%AB%E3%82%B2%E4%BA%8B%E4%BB%B6

ゾ ルゲ事件(ゾルゲじけん)は、リヒャルト・ゾルゲを頂点とするソ連のスパイ組織が日本国内で諜報活動および謀略活動を行っていたとして、1941年9月か ら1942年4月にかけてその構成員が逮捕された事件。この組織の中には、近衛内閣のブレーンとして日中戦争を推進した元朝日新聞記者の尾崎秀実もいた。

中略

捜 査対象に外国人がいることが判明した時点で、警視庁特高部では特高第1課に加え外事課が捜査に投入された。尾崎とゾルゲらの外国人容疑者を同時に検挙しな ければ外国人容疑者の国外逃亡や大使館への避難、あるいは自殺などが予想されるため、警視庁は一斉検挙の承認を検事に求めた。しかし、大審院検事局が日独 の外交関係を考慮し、まず尾崎の検挙により確信を得てから外国人容疑者を検挙すべきである、と警視庁の主張を認めなかった。このため、10月14日に尾崎 の検挙が先行して行われ、10月18日外事課は検挙班を分けてゾルゲ、マックス・クラウゼン、ブランコ・ド・ヴーケリッチの3外国人容疑者を同時に検挙し た。この際、クラウゼン宅からは証拠として無線機が発見されている。

また、翌1942年(昭和17年)には尾崎の同僚であった朝日新聞東京本社政治経済部長田中慎次郎(3月15日)、同部員磯野清(4月28日)が検挙された。

グ ループの逮捕後、尾崎の友人で衆議院議員かつ汪兆銘・南京国民政府の顧問も勤める犬養健、同じく友人で近衛文麿内閣嘱託であった西園寺公一、ゾルゲの記者 仲間でヴーケリッチのアヴァス通信社の同僚であったフランス人特派員のロベール・ギランなど、数百人の関係者も参考人として取調べを受けたが、ゾルゲが当 時の同盟国であるドイツ人であり、しかもオイゲン・オット大使と親しいことや、前年にイギリスのスパイの疑惑で逮捕されたイギリスのロイター通信社の特派 員のM・J・コックスが、特高による取調べ中に飛び降り自殺したこともあり、特に外国人に対する取調べは慎重に行われたという。

ゾルゲの 個人的な友人であり、ゾルゲにドイツ大使館付の私設情報官という地位まで与えていたオット大使は、ゾルゲが逮捕された直後から、友邦国民に対する不当逮捕 だとして様々な外交ルートを使ってゾルゲを釈放するよう日本政府に対して強く求めていた。しかし、間もなく特別面会を許されたオットは、ゾルゲ本人からソ 連のスパイであることを聞き知る。

これを受けてオット大使はヨアヒム・フォン・リッベントロップ外務大臣に辞表を提出したが拒否された。 さらにその後1941年12月に日本がイギリスやアメリカなどの連合国と開戦し、ドイツもアメリカとの間に開戦したこともあり、繁忙の中で大使職に留まり 続け、ようやく1942年11月になりフォン・リッベントロップ外務大臣より駐日大使を解任された、その後南京国民政府の北京へと家族とともに向かい、そ こで終戦までの間を暮らした。

引用終わり

朝鮮日報の記者はこう書いている。
(再度、引用)

国情 院によると、C氏は2010年7月にも日本の日刊紙記者A氏に「(金賢姫〈キム・ヒョンヒ〉元死刑囚の訪日をめぐり)中井委員長が田口八重子さん(北朝鮮 拉致被害者)の生存情報を伝えた」と述べ、さらに11年2月には「日本の外相が外務省の担当者をコンゴに派遣し、現地で北朝鮮の担当者と接触させた」など と語ったという。

引用終わり

この日刊紙記者Aが何者か、朝鮮日報は報道していない。他方でTV朝日の名前は出している。普通に考えて資本系列である朝日新聞社ではないかと私は考える。

ゾルゲ事件、そういうのが昔はあったと年配のかたは思い出されるかも知れない。だが、第2、第3のゾルゲ事件はおきているのだが報道されないだけかも知れない。事実、韓国の保守系新聞である朝鮮日報はそうした可能性を示唆する内容の記事を掲載した。

これは非常に恐ろしい事では無いだろうか?