新聞の利益は広告が生む
2012.07.04

最初にお断りをしておく。ここでの文章は全て1980年代に広告営業をやっていた時の自分の経験を元に書かれている。当時は下の私の主張は完璧に正しかったが、今は異なるかも知れない。

未だに多くの人が勘違いをしている点がある。それは新聞社における販売収入と広告収入はほぼ同等であるというものだ。何故、こうした勘違いが未だに生きているか?それは新聞社がそういう風に読者に信じて欲しいからだ。

そ の為に販売収入はグロス(粗利益)で、広告収入はネット(純利益)で計上している。この場合、販売収入と広告収入は50:50になる。媒体によりこの比率 は相当に変化する。

別に問題ないと思われるかも知れない。ところが大問題である。何故かというと、新聞社は販売店を維持するために膨大な「売り上げ報奨 金」を出しているからだ。つまり、いったん販売店から本社に吸い上げられたアナタの購読料金は、販売店維持あるいは拡販のために販売店に戻されるのだ。新聞販売店を維持するのには莫大な経費がかかる。

実 際、経費を差し引くと販売からの純利益はゼロだった。これは1980年代初め頃の話だ。その後、部数拡張競争に伴い販売局はますます経費を使うようになった。

 私が辞める頃には販売局は既に赤字になっていた。広告局では、広告売り上げの一部を販売に回していると言われた。

アナタは新聞購読料金を払うことで新聞社の経営を支えていると思っているかもしれない。それは間違いではないが、実態を言えば新聞社の経 営を支えているのは広告収入なのだ。何故かというと販売局は販売店維持で多額の経費を使うからだ。

では何故、このようなおかしな利益計上を新聞各社がそろって採用していたか?

1つは読者向け、1つは社内向けのメッセージを出したかったからだ。

読者に関して言えば

1.自分たちが支払う購読料金で新聞社の経営が成り立っているという幻想/夢(間違ってはいない。だが現実にあってない)

2.新聞社は広告主からの圧力には屈しないで紙面/記事を作ってますというメッセージ

社内向けに言えば

1.営業系(広告局と販売局)以外の社員、つまり編集局社員/記者は新聞社がどうやって経営されているか知らなくて良いという考え(建前論だけを知ってれば良いと言うこと)

2.営業系の中で広告と販売の意識格差がおきないようにする

部 数が必要なのは確かだ。広告では部数は基礎体力と呼ばれた。

私が朝日新聞社で広告営業をしていた頃、すでに読売の部数は朝日より100万部程度多かった。だが、広告料金は朝日のほうが高かった。

何故かというと、当時の朝日新聞読者はresponsiveだったからだ。つまり広告に対し反応する人が多かったのだ。広告への反応は問い合わせ電話かも知れない。旅行業・不動産広告の 場合はもっと厳密な問い合わせから契約にいたるまでの成約率かも知れない。

広告主としては、広告を出した以上、何らかの反響が欲しいのだ。その点において 朝日のほうが読売より優れていた(80年代の話)。

反響があるかどうかを気にしない広告主も希にいた。日本政府や自治体である。彼らが出す広告が例えば政府公報だ。あるいは選挙公告だ。また企業の決算公告を含む様 々な公告もそうだ。

決算公告は法律により新聞に出すことが義務に なっていた。当時はネットという代替がなかった。ほぼ新聞が独占していた。特に日本経済新聞社がずば抜けていた。現在は会社のサイトで決算公告を行うことが可能となった。これもまた新聞社経営圧迫の理由の 1つだ。

最初に書いたように、ここでの文章は1980年代後期から90年代初頭くらいまでの話だ。現在、あてはまるかどうかは不明だ。

今は多くの新聞社が不動産業、不動産収入に依存しているようだ。だが何故、新聞社が優良不動産を持っているのだろう?それは国が新聞社の社会の公器としての公共性を鑑(かんが)みて、過去に優良国有地を格安に社屋地として払い下げたからなのだ。

不動産業で生き残るならそれでもいいが国が国有地を格安払い下げをしたのは新聞社が社会の公器だからだ。社会の公器としての責任を放棄するなら国有地を一端、国に返還するのが筋では無いだろうか?