足利事件に見るメディアの傲慢さ
2012.07.04

引用

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E4%BA%8B%E4%BB%B6

足 利事件(あしかがじけん)とは、1990年5月12日に、栃木県足利市内のパチンコ店の駐車場から女児(4歳)が行方不明になり、翌朝、近くの渡良瀬川の 河川敷で遺体となって発見された事件。2009年5月の再鑑定により、犯人とされて服役していた菅家利和(すがや としかず、1946年生まれ 以下本項 では「甲」)のDNAと、遺留物のDNAが一致しない事が判明し、釈放された。

(中略)森法務大臣も取調べの可視化を求める声に「捜査に支障をきたす」と していたが、その一方で検察は最高検の次長検事が記者会見で謝罪するとともに東京高検に対して速やかに再審を開始し無罪判決を求めるよう指示。県警もこれ に追従する形で本部長名で謝罪の談話を発表するに至り、同日、警察庁長官も遺憾の意を表明。その翌日には国家公安委員長も記者会見で謝罪した。6月17 日、栃木県警察本部を訪れた甲は、県警本部長から直接謝罪を受けた後、記者会見し「本部長が謝っているのを見て考えが変わった。許す気になった。」と話し た。

引用終わり

まず菅谷さんには心から同情する。やってもない犯行の罪を着せられ服役させられてはたまったものではない。同時に警察の問題体質 も感じる。それは例えば、何か犯罪がおきた時、第1通報者を有力な犯人候補として扱う点だ。実際に第1通報者の30%程度が実行犯であるという統計がある そうだ。警察の行為に根拠が無いとは言わないが、これでは善意の通報者がいなくなるだろう。

ところで上のWikiの記述を見る限り、検察 と警察はきちんと謝罪し、菅谷さんもそれなりの誠意を認めたようだ。ところが足利事件に関わった重要な組織がまだ謝罪していない。それは何かというと新聞 やTVである。

TVに関しては業界で働いたことがないので不明だ。

足利事件のようにセンセーショナルな事件を新聞に載せる時、通常より印刷部数を増 やすという行為を行う。これは、通常の読者+駅売りスタンドなどで金を払っても記事を読みたい読者がいるからだ。

ところで新聞は警察記者クラブで警察発表を受け取る。だが受け取った情報の内、どれをどのように記事にするかは新聞の 自由である。

それは現実に、ある記事が産経新聞にしか載っていなかったり、あるいは犯人の名前が朝日新聞では4文字であるのに他紙では3文字であるなどの 日常的事実から容易に推測できる。

要するに、新聞は膨大な量の警察発表や官庁発表を記者クラブなどで受け取っているが、何を記事にするか、どの程度の扱いの記 事にするかの部分は新聞社まかせになっている部分がある。

無罪の菅谷さんの名前や個人情報を日本国中にまき散らしたのは警察だろうか?明らかに違う。そうしたセ ンセーショナルで売れる記事を載せることで部数を増やし広告を集めたい新聞社である。決して、警察署長が「どうか、これを記事にしてください」と頼んだ訳ではない。

もちろん阿吽の呼吸、以心伝心と言った部分はあっただろうが。

繰り返すが、足利事件で菅谷さんの人権を侵害して個人情報を日本全国に垂れ流したのは新聞社である。そして、人権侵害という違法行為により新聞の部数は増え、広告売り上げも上がったと推測する。

何 故、新聞社の社長や編長局 は「出してはいけない個人情報を流し人権を侵害したことを心からお詫び します」と言わないのだろう?

確かに一番、悪いのはえん罪を作った警察と検察だ。だが警察は警察発表を記者クラブの連中に渡すだけで実際の紙面を作成したのは新聞社だ。

何故、菅谷さんの個人情報をさらし人権を侵害した新聞各社が菅谷さんに謝罪しなくていいのか私には全く理解できない。