平成の大政翼賛会

パート3 アメリカは誰と戦っているのか?
2012.07.13

アメリカは世界最高の軍備/軍事力を誇る。当然ながら、戦う相手がいるはずだ。それはロシアや中国だろうか?どうも、違う気がする。

まず、イスラム過激派は話にならないだろう。正規の軍隊すら持っていないのだから。同様に戦争を憲法で禁止されている日本もアメリカの敵になりえない。とするとやはりロシアや中国なのだろうか?

ロシアや中国は確かに国土が広く、それなりに資源を持ち、それなりに高度な軍隊を持っている。だが、両国には決定的に欠けている部分がある。それはソフト・パワーだ。

アメリカが持つソフト・パワーは強大だ。まず英語が実質的な世界標準語になっている。これは大きい。具体的には、ポップ音楽、ハリウッド映画、TVドラマ、CNNなどのニュース配信、様々な小説、大学や研究施設が生み出す論文や研究などが挙げられる。

ロ シアと言えばトルストイ、ドストエフスキーなどの文豪、あるいはチャイコフスキーやロシア・バレーなどの高度な文化伝統を誇っている。だが、それは全てロ シア革命前に生み出されている。例えば、最後のクラシック作曲家とも言えるロシア人ストラヴィンスキーはアメリカに亡命している。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%8
2%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC

イーゴリ・ストラヴィンスキー

略歴

1882年6月17日、サンクトペテルブルク近郊のオラニエンバウム(現・ロモノソフ)に生れた。ウクライナ系またはポーランド系ロシア人の父フョードルはペテルブルク・マリインスキー劇場のバス歌手で、家には図書館並みの20万冊もの蔵書を持っていた。

イー ゴリは法律を学ぶために大学に入った。しかし在学中に作曲家となる意思を固め、1902年から1908年まで、リムスキー=コルサコフに作曲法と管弦楽法 を学ぶ。大学でリムスキー=コルサコフの息子と知り合い、仲介してもらったという。1906年には、 従妹エカチェリーナ・ノセンコと結婚。翌年には息子テオドール、翌々年に娘リュドミラを授かる。作曲家のスリマは末子。

1908年に、自作曲『幻想的スケルツォ』と『花火』が初演される。ロシア・バレエ団の主宰者セルゲイ・ディアギレフに認められる。『花火』はもともと師リムスキー=コルサコフの娘の結婚祝いに書いたものであった。

1910 年には、ディアギレフの依頼でロシア・バレエ団のための第1作『火の鳥』を創作し、パリのオペラ座で初演、大成功を収める。翌1911年には、第2作『ペ トルーシュカ』が委嘱され、これも成功を収める。さらに1913年、第3作『春の祭典』がパリで初演される。この上演は楽壇をセンセーショナルな賛否両論 の渦に巻き込む。これら3作によってストラヴィンスキーは若手の革命児として名を刻まれる事になった。

1914年、第一次世界大戦勃発とともにスイスに居を定める。1917年に起きたロシア十月革命により故国の土地は革命政府に没収される。

1920年、パリで『プルチネルラ』を初演。ほか『きつね』、『結婚』、『八重奏曲』、『詩篇交響曲』、『ダンバートン・オークス協奏曲』などを発表するが、この年から1950年までは、彼の新古典主義の時代といわれ、バロック音楽への回帰の時期とされる。

1938 年、長女を結核で失い、翌年には妻と母を失う。当時ナチス政府は前衛的なストラヴィンスキーを快く思っておらず、翌1939年秋にアメリカ合衆国へ亡命す る。アメリカではハーバード大学で教鞭をとり、その後ハリウッドに住む。画家のヴェラと再婚。『3楽章の交響曲』、バレエ『オルフェウス』、『ミサ曲』、 オペラ『放蕩者のなりゆき』などがこの時代の代表作である。

1950年頃より、これまで否定的だった十二音技法を採用して新たな創作の可能性を開く。『七重奏曲』、『エレミアの哀歌による「トレニ」』、『バリトンと室内オーケストラのためのバラード「アブラハムとイサク」』、『J.F.ケネディへの哀歌』などを作曲。

1959年、来日し、日比谷公会堂で演奏会を行う。また日本の若手作曲家の武満徹を見出して世界に紹介する。これはのちにバーンスタインが、ニューヨーク・フィル125周年記念の曲を武満に依頼するきっかけになった。

1962年、ソ連を訪問する。1914年に祖国を離れて以来、最初にして最後の帰郷であった。

1969年、ニューヨークに転居し、1971年4月6日に89歳で没する。ディアギレフの眠るヴェネツィアのサン・ミケーレ島に埋葬された。のちに、妻ヴェラもイーゴリの隣に埋葬された。

引用終わり

中国もまた孔子、老子から始まり魯迅までの哲学/文学の系譜があるのだが、共産党革命以降、何か新しい文化が生み出されたかというと何もない。あるいは私は知らない。

ロシアや中国はアメリカの敵役を務めるには役不足だ。何故なら、ソフト・パワーの分野で圧倒的にアメリカに負けているからだ。ロシアや中国はむしろ独立勢力だ。そういう考えでアメリカの敵となるにふさわしいソフト・パワーを持った国々を世界地図で探すと1つしかない。

欧州である。欧州なら、ソフト・パワーでアメリカに匹敵する力を持っている。軍事的にはNATOという同盟を形成し競合してないので、劣っていてもかまわない。欧州の圧倒的な武器は金融である。特に英国ロンドンのシティーと呼ばれる金融街が巨大な影響力を持っている。

これは非常に奇妙な考え方だ。何故なら、表面上はアメリカと欧州は同じ思想を持つ同盟として見えるからだ。

何故、欧州はアメリカを敵視しているのか?これは推測なのだが、アメリカが独立戦争を行い、欧州支配から勝手に離れたことを未だに残念に思い、何とか自分たちの陣営に戻そうとしていると私は考える。

私が書いた「セシル・ローズの奇妙な人生」という文章を読んでいただきたい。
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セシル・ローズの奇妙な人生
2012.01.10

十数年前の話だ。数人のアメリカ人と話をしている時にビル・クリントン大統領(当時)の話題になった。彼らはクリントン氏を評価していた。「彼はローズ奨学金を受けている」と彼らは指摘した。

こ のローズ奨学金はセシル・ローズという英国人(後に南アフリカ国籍を取得)が創設したものだ。セシル・ローズはアフリカにおける英国の植民地拡大に多大な 貢献をした。あまりに、その貢献が大きいために、ローデシア(現在のジンバブエ)というセシル・ローズの名前を取った国が生まれたくらいだ。

私は「セシル・ローズは植民地主義者で人種差別主義者だ。何故、ローズ奨学金がそれほど名誉ある奨学金とアメリカで考えられているのか」と聞いた。だが彼らはセシル・ローズがアフリカで何をしたかあまり知識が無いようで反応は特に無かった。

引用

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA%E5%A5%A8%
E5%AD%A6%E5%88%B6%E5%BA%A6


ローズ奨学制度(英: Rhodes Scholarship)は、世界最古の国際的フェローシップ制度である。オックスフォード大学の大学院生に与えられる。ローズ奨学生は同大学の大学院でMBA以外のコースで学ぶ者であり、分野は問わない。

この奨学制度はセシル・ローズの死後始められ、1902年以来毎年、オックスフォードにあるローズトラストが学生の能力や性格を考慮して奨学生を決定している。

遺 言では本来、イギリス帝国、アメリカ合衆国、ドイツの学生に奨学金を与えることになっていた。この3ヶ国が選ばれたのは、「3つの列強の相互理解が深まれ ば、戦争がなくなる」と考えたからだと公式には言われているが、実際はセシル・ローズの人種差別主義が強く影響しているという説もある。

セシル・ローズの意図には人種差別的だとの議論もあり、この奨学制度を利用して海外の将来のリーダーとなる留学生をイギリスに呼び込んで、帰国後に影響を与えようとするものだと批判された。

初期の変更として、第一次世界大戦と第二次世界大戦中、ドイツからの留学生から奨学生を選ばなくなった事例がある。実際、1914年から1932年までと、1939年から1970年まで、ドイツ人留学生は奨学生に選ばれていない。

また、1977年からは女性にも奨学金を与えるようになった。

ローズ奨学金の米国における意味

地 域の超一流人からなるローズ奨学生選考委員会が、「聡明で協調精神のある、将来の良き市民たる能力を持つ」ことを基準として選ぶ。奨学生を卒業すると、ア メリカにおいては能力を測る重要な物差しの一つとなっているため、その後は一目置かれ、色々なドアは開かれ招待状が舞い込み、パワーエリートの道を選ぶこ とが出来る。

引用終わり

ウィキペディアにおいてもローズ奨学金の持つ差別性は指摘されている。奨学金を受けた著名人の中に、ニューヨーク・タイムズの東京支局長を務めていた時、「日本には人肉を食べる習慣がある」という捏造記事を書き、未だに訂正をしてないニコラス・クリストフ氏もいる。

ではセシル・ローズとはどういう人か?

引用

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%83%B
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セシル・ジョン・ローズ(Cecil John Rhodes、1853年7月5日 - 1902年3月26日)は、イギリスの政治家。

ローズは地主出身の牧師の子に生まれたが、生まれつきの病弱を心配した父は、気候のよい南アフリカに行っているローズの兄のもとに彼を送った。健康を取り戻したローズは、兄とともにキンバリーで坑夫としてつるはしを振るった。

彼 はダイアモンドを掘り当てて作った資金で、ダイアモンドの採掘権への投機を行ったり、採掘場への揚水ポンプの貸し出しで儲け、ロンドンのユダヤ人財閥ロス チャイルドの融資もとりつけて、1880年、デ・ビアス鉱業会社を設立した。この会社は、ほぼ全キンバリーのダイアモンド鉱山をその支配下に置き、全世界 のダイアモンド産額の9割を独占するに至った。彼はデ・ビアス鉱業会社を通じてトランスヴァール共和国の産金業にも進出して、世界最大の産金王にのし上が るとともに、南アフリカの鉄道・電信・新聞業をもその支配下に入れるまでになった。

ローズはこの経済力をバックに政界へも進出し、 1880年、ケープ植民地議会の議員、84年にケープ植民地政府の財務相になり、90年には遂に首相にまで上り詰めた。この間彼は、マタベリ人の首長に武 器弾薬を提供し、それと引き換えに鉱山の利権を獲得したり、1889年、イギリス本国政府の要人を買収して、征服地に対する警察権・統治権をもつイギリス 南アフリカ会社設立の特許を獲得したりしている。1894年、ローズはこの会社を盾に、遠征軍をマタベリ人やマショナ人の居住区に派遣して、イギリス本国 の4倍半にも相当する広大な土地を奪って南アフリカ会社の統治下に置いた。会社はこの地を、征服者ローズの名にちなんでローデシアと命名した。

「神は世界地図が、より多くイギリス領に塗られる事を望んでおられる。できることなら私は、夜空に浮かぶ星さえも併合したい」と著書のなかで豪語した。

生涯独身を通した彼は、600万ポンドに及ぶ膨大な遺産の大半をオックスフォード大学に寄贈した。大学ではローズ奨励基金として、現在も毎年多くの学生に奨学金を提供し続けている。

ローデシアの歩んだ道

1964 年、北ローデシアはザンビアとして独立した。一方、南ローデシアでは、白人が1965年に一方的に独立を宣言して白人支配を維持した。しかし、当時人口 610万人中、白人はわずかに27万人に過ぎなかった。この白人少数支配に対して黒人は、かつてこの地に繁栄していた黒人王国ジンバブエの名を冠した組織 を結成して独立闘争を続け、ついに1980年、独立を達成し「ジンバブエ共和国」を樹立した。

ローズは熱心な帝国主義者であるとともに人種差別主義者でもあった。彼はアングロサクソンこそ最も優れた人種であり、アングロサクソンにより地球全体が支配されることが人類の幸福に繋がると信じて疑わなかった。ローズ奨学金もドイツ人以外の外国人には許されていない。

成 功する以前は、イギリス(アングロサクソン)による世界支配を目指す秘密結社の設立を公言していたが、ビジネスの多忙もあり、そのような組織を作ることは なかった。しかし、あまりに莫大な資産を残して亡くなったため(また独身であったため)、「セシル・ローズの秘密結社がある」という陰謀論が絶えない。ま た、ローズはフリーメイソンであり、死ぬまで会員であり続けた。

引用終わり

英語wikiのほうが遙かに詳しい。

http://en.wikipedia.org/wiki/Cecil_Rhodes

While attending Oriel College, Rhodes became a Freemason in the Apollo University Lodge. Although initially he did not approve of the organisation, he continued to be a Freemason until his death in 1902. The failures of the Freemasons, in his mind, later caused him to envisage his own secret society with the goal of bringing the entire world under British rule.

上の記述を読むとフリーメーソンであったが、もっと機能する秘密結社を作ろうとしたとある。最終目標は世界が大英帝国の支配下におかれることだったようだ。

陰謀論で説明するのは、あまり私の好みではないのだが、下のセシル・ローズの考えはナチス思想と似通っている。

引用

http://en.wikipedia.org/wiki/Cecil_Rhodes

Rhodes wanted to expand the British Empire because he believed that the Anglo-Saxon race was destined to greatness. In his last will and testament, Rhodes said of the British, "I contend that we are the first race in the world and that the more of the world we inhabit the better it is for the human race." He wanted to make the British Empire a superpower in which all of the British-dominated countries in the empire, including Canada, Australia, New Zealand, and Cape Colony, would be represented in the British Parliament.

Rhodes included American students as eligible for the Rhodes scholarships. He said that he wanted to breed an American elite of philosopher-kings who would have the United States rejoin the British Empire. As Rhodes also respected the Germans and admired the Kaiser, he allowed German students to be included in the Rhodes scholarships. He believed that eventually the United Kingdom (including Ireland), the USA and Germany together would dominate the world and ensure peace.

抄訳

セシル・ローズは大英帝国の拡大を望んだ。何故なら彼はアングロサクソンだけが偉大な人種として運命づけられていると信じていたからだ。

ローズはローズ奨学金の対象にアメリカ人学生も入れることにした。アメリカは再び大英帝国に復帰すべきであるという哲学を持つアメリカ人エリートを育成したかったと言われている。ローズはまたドイツと皇帝(カエサル)を尊敬しており、ドイツ人学生も奨学金の対象に入れた。

ローズは最終的にアイルランドを含む英国と米国とドイツが1つになり、世界を支配し平和を保つと信じていた。

引用終わり

セシル・ローズの人生にはたくさんの考えさせられる事柄と思想がある。

追記1

"I contend that we are the first race in the world, and that the more of the world we inhabit the better it is for the human race...If there be a God, I think that what he would like me to do is paint as much of the map of Africa British Red as possible..."

上のセシル・ローズの発言は興味深い。

「もし神が存在するなら私がアフリカを英国の赤で塗りつぶすことを望むだろう」
(赤が英国領を示す色だった)

追記2

http://en.wikipedia.org/wiki/Rhodes_Scholarship
ローズ奨学金(英語ウィキペディア)

Known as the "world's oldest and most prestigious international graduate scholarship", the Rhodes Scholarships are administered and awarded by the Rhodes Trust, which was established in 1902 under the terms and conditions of the will of Cecil John Rhodes, and funded by his estate under the administration of Nathan Rothschild Scholarships have been awarded to applicants annually since 1902 on the basis of academic achievement and strength of character. There have been more than 7,000 Rhodes Scholars since the inception of the Trust. More than 4,000 are still living.

死亡した時点でセシル・ローズは世界最高の富豪だったという。多くの陰謀論サイトがセシル・ローズの富を引き 継いだのはロスチャイルドだと主張する。これが事実かどうかは不明だ。だが英語ウィキペディアを見る限り、ローズ奨学金の運用を委託されたのがロスチャイルドであるの は事実のようだ。そしてセシル・ローズの財産のほとんどはローズ奨学金に充てられたのだ。

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アメリカは大英帝国に復帰すべきだというセシル・ローズの考え方が、現時点で、どの程度、欧州で支持されているのか不明だ。だが、欧州の主要産業が金融であり、金融の世界に国境は無いのもまた事実だ。

つ まり、私の考えではアメリカと本当に敵対しているのは欧州(古い欧州)である。何故なら、アメリカが自分たちから独立し大きな植民地を失ったからだ。また 第2次大戦後、膨大な欧州の植民地が独立した。表面上、欧州は現状を受け入れているように見えるが、実はかつての植民地を再度、欧州の力の下におきたいと 様々な「工作」をしている。
 
 いずれにせよ、地球上においてソフト・パワーでアメリカに対抗できる勢力は欧州しかないという点は多くの人に同意してもらえると考える。