音楽の魔法はまだ存在するか?
2012.08.26

引用

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83
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ラ リー・ニーヴン(Larry Niven)ことローレンス・ヴァン・コット・ニーヴン(Laurence van Cott Niven、1938年4月30日 - )は、アメリカの小説家、SF作家。代表作は『リングワールド』(1970) で、ヒューゴー賞、ローカス賞、ネビュラ賞を受賞した。大胆なアイデアのハードSFを得意とし、しばしば推理小説と冒険小説の要素もある。ファンタジーと しては『魔法の国が消えていく』を代表とするシリーズがあり、魔法を再生不可能な資源として描いている。

引用終わり

魔法はかつて本当に存在し、空にお城が浮かびドラゴンが飛び交っていたが、魔法は有限の資源であり、それを使い切った今、人間は魔法をつかうことができないというラリー・ニーブンの考え方は実に面白い。

ポップスの世界も魔法で成り立っており、かつてビートルズやローリング・ストーンズが騒がれたころは、まだ音楽に魔法が存在した。だが、現在、人類は魔法を使い果たしてしまい、音楽は退屈な体験と見なされるようになった。これはありうる話だ。

大体、技術で音楽を制作できるなら、21世紀のバッハやモーツァルトが生まれているはずだ。実際に、彼らのスタイルで作曲する現代人がいるのだ。だが、彼らはバッハにもモーツァルトにもなれない。無名のまま終わってしまう。これは時代の問題なのだろうか?

私の考えは少し違う。クラシックで表現できる音楽は、もう全て表現されたのだ。だから「クラシックの新作」(新しい楽曲)は出てこない。何故なら、全ての可能性が既に探求され提示されたからだ。

同 じことはポップスにも言えるのでは無いだろうか?考えてみればビートルズの時代は幸せだった。ポップスとして手つかずの膨大なメロディーとコード進行が存 在した。もちろん助言役としてのプロはいたのだが、市場そのものが未開拓なのだから、素人くさい歌い方でギターをかき鳴らせば、それでファンが熱狂的に反 応した。何故ならポップス市場そのものが未開拓であり、新しいメロディーやコード進行を生み出すことが可能だったからだ。

現在のミュージシャンが根本的な部分で不幸なのは

1.ポップスの魔法が使いつくされ我々は過去の栄光を再現できなくなっている

2.ポップスとして良いメロディーやコード進行(が示唆するメロディーや雰囲気)が既に著作権登録されている為に、どんな名曲を書こうと「過去の誰かの物まね」になる

3.音楽で利益を得るために益々、長い時間働くことが要求される

4.何故なら、著作権という果汁の配分先はすでに大枠が決められているからだ

こ の4点では無いかと私は考える。つまり今のポップス市場では、市場に僅かに残された未開拓分野に多数が群がっているのだ。この場合、多数というのは誇張で も何でもなく中国人やインド人がポップスを世界に向けて発信を開始した時、一体どれだけの「未知の領域」が残されているかというと、ほぼゼロである。

(一体、どうやって著作権処理を行うのだろう?ポップスにおいて使える音は普通、オクターブ違いを入れても12しか無いのだ。スーパー・コンピューター・システムを組むのだろうか?)


ア メリカにおいて売れないジャズ・マンは小さな大学の教員になることで、つまり音楽を教える側に回ることで生計を立てた。これは日本でも同じだ。音楽業界に いる人々は、現在のポップスが「オレンジを絞って最後の一滴が出るかどうかの状態」にあるとは言わない。それを認めると自分たちの生活ができないからだ。 何故なら彼らは音楽を教える側だからだ。

だが、客観的に見ると、ポップスの可能性は出尽くした、これは終わった分野だと主張することは大きく間違ってはいないだろう。