愛妻家の失敗
2012.10.02

アントニオ・カルロス・ジョビンの初期名作に「浜辺のテレーザ」がある。下の動画で聴くことができる(演奏にジョビンは参加していない)。

http://www.youtube.com/watch?v=2q8QLkn82CE

この曲がジョビンの代表曲であることに異論を唱える人はいない。この曲が不幸なのは曲名にある。テレーザというのはジョビンの最初の奥さんの名前であり、その後ジョビンの奥さんは何回か代わった。最後の奥さんはAnaさんというかたらしい。

聴いて頂ければわかるのだが、この曲は古典的な名曲だ。だがジョビンは70年代以降、この曲を録音したことは一度もない。理由は奥さんがテレーザでは無くなったからだ。

太宰治が昔、「家庭の幸福は諸悪の元」と主張した。太宰は結局、自殺した為に美化されているが、家庭を持ち奥さんを持ち子供を持つということは社会との妥協を最優先するということだ。そうしないと生き延びることができないからだ。

太宰の言葉をどう解釈するかは人により異なるだろうが「妻子を持つことは社会に人質を取られること」だと私は理解している。そして私は今も自由な言論を行っている。何故なら日本社会に人質を取られていないからだ。

非常に残念な話だが、これが真実ではないだろうか?

追記

名 曲「イパネマの娘」の歌詞を書いたヴィニシウス・ジ・モラエスは50歳をこえてから奥さんを20回、変えたと言う。友人であるジョビンがあきれて「キミは 一体、何回結婚するつもりだ?」と訊いたところ、ヴィニシウスは「必要なら何度でも」と回答したと大島守さん(サンバ評論家、すでに亡くなられている)は 書いていた。

ヴィニシウスは実際にブラジル軍事政権(1970年代)に弾圧されたようだが、過去の奥さんが3桁存在するなら、それはもはや人質では無いだろう。

ヴィニシウスは日本では評価されてないがブラジルでは国語教科書に作品が掲載されている(らしい)。Roxa da Hiroshima(広島の薔薇)というのが作家としてのヴィニシウスの最高作品と評価されているようだ。

ここでは薔薇と血が微妙に暗喩されている。そうした詩作ができる部分にヴィニシウスの「巨大さ」があったと思う。なお日本人としては感情が複雑すぎる為に私はあまり、この詩作が好きではない(検索すると英語訳が簡単に出てくる)。