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消えた絵画 2012.10.04
マナブ間部という画家をご存知だろうか?日本人として生まれ、ブラジルに移住し画家として成功した。
http://www.manabumabe.com/ (ご本人のサイト)
音楽が鳴るので注意されたい。この日系ブラジル人のサイトではまず日の丸が出てブラジル国旗が出る。
今日、書くのは、この人の絵画が消え失せた事件だ。
ウイキペディアでは、こう説明している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8A%E3%83%96%E9%96%93%E9%83%A8
経歴
1924年(大正13年) - 熊本県宇土郡不知火町(現・宇城市)の宿屋を営む父・宗一と母・ハルの間に生まれる。
中略
1979
年(昭和54年) -
1月、故国の日本で開催された個展を終え、100点余の作品を積んだヴァリグ・ブラジル航空機が成田国際空港を離陸後に遭難(ヴァリグ・ブラジル航空機遭
難事故参照)。代表作の大半を失う。間部はその後14年かけて喪失した1点1点を画き直したという。
引用終わり
この飛行機事故に関する説明
引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AA%E3%82%B0%E3%83%BB% E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%AB%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F%E9%81% AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E6%95%85
ヴァ
リグ・ブラジル航空機遭難事故(ヴァリグ・ブラジルこうくうきそうなんじこ)は、1979年1月30日にブラジル国籍のボーイング707-320F貨物機
が太平洋上で行方不明になった事故である。乗員6名が犠牲になったほか、日系ブラジル人画家のマナブ間部の複数の作品が失われた。
遭難
ヴァ
リグ・ブラジル航空967便は、日本とブラジルを結ぶ航空貨物路線として当時週1回運航されていた。同便は火曜日の午後6時に新東京国際空港(現成田国際
空港)を離陸し、12時間後に給油のためアメリカ合衆国のロサンゼルス国際空港に着陸したのち、ペルーのリマ経由でサンパウロのヴィラコッポス国際空港に
向かうフライトプランであった。 ボーイング707-320(同型機)事故の当日の1月30日、ボーイング707-320F貨
物機(機体記号:PP-VLU,
1966年製造)は積荷の搭載に手間取り、定刻よりも2時間強遅れの午後8時23分に新東京国際空港を離陸した。30分後の午後8時53分に銚子沖740
キロメートルの太平洋の位置通報地点で、同機から東京航空交通管制部への「次の位置通報地点通過は午後9時23分」との通信を最後に消息を絶った。
当
初、通信がないのは周波数を変えたためか通信機が故障したためと見られていたが、同機の搭載燃料がなくなる時刻になっても、太平洋沿岸のいずれの空港にも
着陸せず、また手がかりもないため、運輸省は遭難と判断し、海上保安庁と海上自衛隊の航空機による捜索活動が行われた。
遺留品未発見
しかし、墜落後も電波を発し続けるフライトレコーダーやボイスレコーダー、海面に漂う燃料はおろか、一切の機体残骸を発見することができず行方不明のままとなり、事故後30年以上経過した現在に至るまで残骸などは全く発見されていない。
同
機が消息を絶った地点は日本海溝の水深が5,000
メートル前後ある海域であり、当時の技術では探知不能な深海に機体が水没したと判断された。乗員6名(機長、副操縦士とセカンドオフィサー・航空機関士各
2名ずつ)は死亡したものと認定された。なお、事故機の機長は、1973年にパリのオルリー空港近辺で発生したヴァリグ・ブラジル航空820便墜落事故
(機上で火災が発生し不時着陸した事故)で生存した機長であった。
積荷
事故機の積荷は、雑貨類、自動車部
品など122個(およそ22,000キログラム)であったが、その中に絵画など1,200キログラムが含まれていた。この絵画には日系ブラジル人抽象画家
として著名であったマナブ間部(本名:間部学、「マナブ・マベ」と表記する場合もある)の作品53点が含まれていた。マナブ間部は熊本県出身で10歳の時
に家族とブラジルに移民したが、成人してから様々な国際美術コンクールで受賞するなどブラジルを代表とする抽象画家となっていた。
事故機
に積まれていた絵画は、ブラジル移民70周年を記念して読売新聞社が主催していた「マナブ間部展」(熊本、神奈川、大阪の各地で開催)で展示された100
点のうちブラジルに返還される絵画であった。この絵画の中には彼の代表作も含まれており、失われた絵画の当時の時価はおよそ20億円相当であった。金額も
さることながら美術的に重要な絵画が失われた。なお、彼はその後14年かけて失われた1点1点を画き直したという。
引用終わり
読売新聞社が事故に関係していたとは思わないが、絵画展を主催したのは読売新聞社である。当然ながら、マナブ間部という国際画家、ブラジルを代表する画家の作品多くが失われた事の責任は読売新聞社にもある。
奇妙なことに、この「国際的な文化財喪失」と「不思議な形で消えた飛行機」のことを知っている日本人は極めて少ない。日本の領空で飛行機が行方不明になったことが一度でもあっただろうか?
「こうした事件」が奇妙な形で日本において言論封殺されている。それほど日本社会では新聞社に気を使う必要があるのだろうか?
http://en.wikipedia.org/wiki/Category:Brazilian_painters
上の英語wikiが示すようにマナブ間部はブラジルを代表する画家78人の中に入っている。70-80年代はブラジルを代表する画家の一人だった。ところが「飛行機事故」で彼の作品多くが失われ、マナブ間部は創造力を大きくそがれてしまった。非常に残念な話だ。
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