様々な講演者
2012.10.04

私は朝日新聞社広告営業を10年やった。様々な講演会を手がけた。最も不愉快な講演者はアグネス・チャンだった。

私が、この人の事務所に電話をかけ講演を依頼した。その依頼した本人が会社の車で送迎に出た。普通なら「今回は講演依頼ありがとうございました」と礼を言う。ところがアグネスはサングラスをかけ、黙ったままだった。

こっ ちが話かけても返事をしないので仕方なく私は付き添いの金子さんという方と話をした。広告局主催の講演会は広告主がいる。勝手なことを喋られては困るからだ。と ころが金子さんもほとんど返事をしない。この講演会で私は5時間程度、アグネス・チャンと同じ部屋にいた。だが、結局、一言も喋らなかった。こんな講演者 がいるだろうか?

さすがに私は怒り、社内で不満をぶちまけた。そうすると職場のミンナも私に同調した。「で、オマエは講演料を幾ら、払ったんだ?」という話になった。これは100万円である。1980年代、一日拘束で100万円払ったのだ。

(ほとんどが銀行口座振り込みで現金を渡すのは希である)

(誤 解される書き方だったので訂正。私は現金で100万円を渡した訳ではない。ただ、前払い金を払えとか振り込み手数料はそっちが持てという部分で事務所と論 争をした。要するに講演会の発注主が朝日新聞社であろうと、前払い金を払え、振り込み手数料を持てというのが事務所の考えだった。言うまでも無いが前払い 金は講演会料金不払いを想定している)

そうすると職場の同僚はあきれ「オマエは馬鹿か?100万払うなら誰でも雇えるだろう?」と言った。これは、その通りなのだが、広告主(某私立大学)が強く要求したために、広告主に折れたのだ。

これはもはや良い講演会かどうかというレベルでは無い。人間のありかたとしておかしい。講演会の依頼を受け、銀行から降ろしてきた札束で100万円の現金支払いを受けるなら「ありがとうございました」というのが社会人だ。正直、アグネスほど非常識な人を私は知らない。

知 的に面白かったのは下村満子さんの講演会だった。この時は英語を使いこなし、世界を舞台に活動しようという講演会テーマだった。英語をどう活用するかを講 演してもらった。下村さんは元々、通訳だった。その時の仕事の印象が良かったので朝日新聞記者として採用された。少なくとも建前ではそうなっている。もう 一人、講演者がいた。松本道広氏で「英語の勉強は修行であり1つの道である」という主張をされていた。

下村さんは商売気が無い人だった。そもそも、講演を受ける気が無かったのだが、広告局が編集局に根回しをして、かなり強引に仕事を押しつけたといういきさつがある。

下 村さんや松本さんを交えて「どういうテーマに沿って講演をして欲しいか」を打ち合わせているうちに偶然、私も英語ができることがわかった。下村氏は社内圧 力に負けて仕事を押しつけられた事が相当に不満だったらしく、「あら、あなた英語できるじゃない?どうして自分で講演をしないの?」という強烈なギャグを かました。

この時は笑ってごまかしたが、実は広告局の内規で自分あるいは広告局同僚を講演者として起用することが禁じられている。これが 総務あたりでシャーロック・ホームズを研究してる人だと講演者として起用して構わない。つまり金銭使い込みを警戒しているのだ。いずれにせよ、下村氏も松 本氏も英語力は私よりはるか上だったので仕事を依頼する理由はあった。

(講演会が無料だった訳ではない。下村さんにも相当な額を払ったと記憶している)

一番、愛着があるのは椎名誠さんだ。この頃、椎名さんはほとんど無名であり、私は夜の飲み会につきあうだろうと予想していたが、椎名さんは人見知りが激しいらしく、あまり喋らなかった。景山民夫さんもそうだったが・・・・

何故、椎名誠さんの講演に愛着を持っているか?この講演会が仕事で手がけた最初の講演会なのだ。さらに編集局からの「こんな訳のわからないヤツを講演に呼ぶな」という反対圧力があった。

新幹線名古屋駅のプラットフォームで私は朝日新聞の小旗を持って立っていた。そうしないと本人確認できないからだ。椎名誠さんはすぐに私がわかり、「今回はどうも、どうも」と言われた。

奇妙な事に椎名誠さんは身長も体格もほぼ私と同じだった。さらに髪の毛がモジャモジャであり、ここまで自分に似通った人がいるのかと私は感心した。

正直な話、私は椎名誠さんの文章や人間性/人格には今でも愛着を持っており、週刊金曜日を離れた今こそ、昔のような自由な文章を書いてもらいたいと思う。

引用

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%8E%E5%90%8D%E8%AA%A0

椎名 誠(しいな まこと、1944年6月14日 - )は日本の作家、SF作家、エッセイスト、写真家、映画監督。本名、渡辺 誠(わたなべ まこと)。旧姓、椎名。結婚したときに妻の渡辺一枝の姓に合わせ、渡辺姓となった。

妻(元保育士)の渡辺一枝とは、親友で弁護士の木村晋介の紹介で結婚。一枝もエッセイストで、チベットについての本など、多数の著書がある。息子で、椎名の小説『岳物語』のモデルとなった渡辺岳は元ボクサーで、現在は写真家。娘の渡辺葉は翻訳家でエッセイスト。

格闘技、プロレスなども好み、柔道も2段であり、また、マーシャル・アーツなども愛好する。

引用終わり