誰がボサノバを殺したか?
2012.10.06

1965 年にブラジルで軍事クーデターがおき、音楽の流れが一挙に変わった。それまで主流だったボサノバが下火になった。多くの演奏家、例えばアントニオ・カルロ ス・ジョビンが海外に逃げた。そのお陰でボサノバがある種のスムーズ・ジャズとして世界的に認知されるようになった。これは怪我の功名だ。ボサノバの代表 曲"Wave"は下で聴くとこができる。

http://www.youtube.com/watch?v=T6gDFsvTBi0

ジョビンが活動拠点をアメリカに移しCTIレーベルに録音した曲だ。

これは政府が弾圧しなければいけない音楽だろうか?奇妙な事に、1965年のブラジル軍事クーデターでボサノバが一気に力を失った。代わりに台頭してきたのは何か?プロテスト・ソングだ。これは逆では無いだろうか?

多くの歌手がギターを持ち政府を批判する歌を歌った結果、民衆の怒りが高まり軍事クーデターがおきたなら、まだ理解できる。ボサノバのような「高度なBGM」を弾圧する理由が無いではないか?

逆 にジョーン・バエズのようなプロテスト・ソングが何故、軍事政権に許されたのか?1965年以降、ブラジルTV番組はそれまでのボサノバやサンバに代わり フォークとロックを取り上げるようになった。guarda jovem(若き陣営)で検索すると現象が検索にあらわれるだろう。

これは奇妙だ。プロテスト・ソングというのは強権的な政府が許すガス抜きなのか?周りを見渡してみよう。2009年の衆議院選挙の頃までは公園でプロテスト・ソングを歌う人がいた。奇妙なことに今はいない。

2012年の野田民主党政権との比較で2009年の麻生自民党政権はそれほど、ひどかったのだろうか?もし野田政権に何かの不満や怒りがあるなら何故、ギターを持ち自分の感情を歌わないのだろう?

プロテスト・ソングおよびその歌手のありかたには根本的な矛盾がある。

追記

日本でもそうだ。岡林信康や高石友也がラジオでかかり、コンサートに人が群がったのは、日本経済が高度成長を遂げていた時期だ。それがバブル崩壊以降、奇妙な形でプロテスト・ソングが日本から消えた。

こ こでの私の大きな疑問は、日本経済が高い成長率を達成し、毎月、新しい職が国民に提供され、国民の賃金水準が上がってる時に政府に抗議するのなら、今のよ うに日本国内の仕事が減少し、実質的な賃金水準が毎年、低下している時こそ街に出て政府にプロテストしギターを取り歌を歌うべきではないだろうか?巨大な矛盾が存 在するのだ。

誰がプロテスト運動を金銭支援しているのだろう?