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パンク・ロック演奏者は何故、礼儀正しいか? 2012.12.04
パンク・ロック演奏者が奇妙に礼儀正しいという指摘はすでに何回もされた。個人的な印象でもそう感じる。
普
通のロック系の連中は、こちらがお金を払ってスタジオでドラムスの連中をしていても急にドアを空け「こらスタジオから出て行け、オマエの時間は超過してい
る」とか怒鳴りつける。しかし時計を見ると、何ら超過してない。大体、私はドラムの練習をする時に椅子の高さ以外はいじらない方針だ。従って、1分前にス
タジオを出れば無問題で交代することができる。ところが、そう考えない人々がいた。彼らは私と異なり商業的な成功を目指していたからだ。
一転して過去の話になる。1990年代末にかけて私は日本でしか入手できない様々な音楽情報、特にコンゴ音楽に関連した書籍や雑誌情報を英語に翻訳した。翻訳情報の提供先は主にロンドンに本店があるスターンズというレコード店と、そこの関係者だった。
だが考えるところがあり、ヴィンセント・ラットマンという人に自分が翻訳した全ての情報をフロッピー1枚に入れて送りつけた。私は自分が翻訳した情報がこれから何世紀に渡りコンゴ音楽を語る際に活用されて欲しいだけでありスターンズに媚びを売る理由が無いからだ。
当然ながらラットマン氏から感謝のメールが来た。その内容が中々、驚くべきものだった:
「たくさんの翻訳を送ってくれてありがとう。色々、新しい事を知ることができた。でもボクの妻が日本人なのでキミが翻訳してくれたことは大意、理解していた。でもキチンと翻訳された文書で読めるというのは素晴らしい」
と書かれていた。ヴィンセント・ラットマン氏はあまりメディア露出が無い、音楽ジャーナリストだった。奥さんが日本人(日系英国人)とは知らなかった。
こ
の事件を機会に私はラットマン氏と何回か意見を交わしたのだが、どうしても「好み」があわず縁を切った。特に私が矛盾してると思ったのはラットマン氏が元
々はパンク・バンドで演奏していたが、音楽をあきらめて教職に就いた後にコンゴ音楽の良さに気が付いたという部分に納得できなかった。
いや、ここで最も衝撃的だったのは英国パンク・ロックで活躍していた人が、何ら抵抗無く英国での教職に就いた点だ。そういう「安定した公務員を否定するのがパンク・ロックでは無いのか?」と私は思ったのだ。
パ
ンク・ロックの演奏者ははっきり言って楽器演奏も歌もヘタクソだ。当然ながら、彼らの生き方とか主張が音楽の骨格のはずだ。ところが元パンク・ロッカーが
公務員になり、コンゴ音楽研究家として穏やかな日々を送っている。これはおかしい。英国政府がパンク・ロックを国策として支持してない限り、そんなことは
おきない。
ラットマン氏は今もインターネット・ラジオで番組を持ち、コンゴ音楽の紹介をされている。そういう意味では貴重なソースだ。だ
が、元々パンク・ロック演奏者であったラットマン氏が何故、安定した教職を得られたのか、何故、今も英国政府が補助を出しているインターネット・ラジオの
DJに起用されているのかという部分で納得できない。
パンク(チンピラ)は教職に向いているのか?ここに私の根本的な疑問がある。
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