新聞広告の実態
2012.12.16

(下の文章は私が朝日新聞社広告営業として働いていた時の経験をベースに書いています。現在も妥当であるかどうかは不明です)

広 告を載せる時、新聞社は必ず「新聞広告掲載申込書」を取る。同時に契約書も取る。トヨタなどの大手広告主だと年間広告出稿契約という形で大きな契約をまと めている。ところで、広告が紙面の半分を占めているのだから、当然ながら紙面の半分は広告局に責任がある。だが実態は少し異なるようだ。今回の文章は、こ の点に関するものだ。特に目新しい点は無いのだが私以外、書かない。

まず通常の広告に関しては広告局が全ての審査とチェックをやっている。例えば不動産広告、人事募集広告、代理店募集広告である。実質、編集局が広告審査を行っている分野がいくつかある:

1.意見広告
2.原子力発電のように議論が存在する分野での広告
3.書籍広告、特に雑誌広告

意 見広告はまず広告審査課で中身を見る。そして必ず編集局にお伺いを立てる。日本で意見広告がなかなか掲載されないのは、広告局の権限で掲載を決められない からだ。結果として、延々とやりとりをする。「この表現をもう少し柔らかくしろ」とか編集局が言ってくる。広告局はその通り、広告主に伝える。つまり意見 広告は基本、「手間がかかる」。

原発に関しては、大きなガイドラインを編集局が決めていた。さらに浜岡原発のような個々の原発に関しても、広告申し込みがある度に編集局に意見伺いをしていた。

多 くの読者が勘違いをしているのは雑誌広告である。新潮社の雑誌の広告一部が黒塗りになって新聞紙面に掲載される。そういう指令を出しているのは編集局であ る。広告は編集局の指令通り、黒く塗りつぶしているだけだ。だが、外部から取材があった時、対応をするのは東京本社広告審査課だ。つまり、広告は雑誌広告 に関して何ら権限を持たず責任だけを負わされているのだ。ただ女性誌やファッション誌は広告内部の審査が可能だった。

で、私は今、思うのだが「何故、編集局はどうでも良いような朝日新聞に関する醜聞を見出しにする雑誌広告は黒く塗りつぶすのに、日本の国家破産はさけられない」という類の書籍広告は無問題と考えたのだろう?

大 体、週刊新潮が書き立てる朝日新聞の醜聞なるものは全ての社員に配布される朝日人という社内報にすでに書かれていた。そんなものはニュースでも報道でも無 いと私は思う。社内では朝日の読者と週刊新潮の読者がほぼ重なっており、その結果として上のようなことがおきるのだと説明された。

私が一番、問題だと思うのは国家破産本である。そうした書籍の多くは、講演会+金融商品説明会とセットになっていた。何のことはない、金融商品勧誘である。何故、ここで編集局は「日本の国家破産は避けられない」という主張に全く苦情を言わなかったのだろう?

一方で週刊新潮の雑誌広告見出しの一部を黒く塗りつぶす。他方で「日本の国家破産はさけられない」という明らかに扇情的な書籍には何ら意見を言わなかった新聞社編集局に私は大きな不信感を抱くのだった。