死ぬ自由が無い日本
2013.03.31

日本には様々な生き方をする自由がある。だが、死ぬ部分に関して自由が無い、あまり選択肢が無いというのが、この文章の主張である。

具体的には

1.仏教的な葬式を選ぶ
2.キリスト教への改宗を表明しキリスト教的な葬式を選ぶ
(このキリスト教の部分はイスラムと読み替えて頂いても大差ない)

ここで抜けているのは神道的な死に方を選ぶ自由である。日本人の二大宗教は神道と仏教と言うけれども、結婚ではキリスト教、葬儀では仏教が圧倒的であり、儀式的に神道を選ぶ自由が実質的に無いのだ。これはおかしい。

も ちろん、これには理由があり、江戸時代前後の日本が国策として日本人全てが仏教徒になりお寺の門徒になることを強制したからだ。結果、日本は植民地になる ことが無かった。それは結構なのだが、この「仏教強制」が今の日本で不当な負担になっているというのが私の考えなのだ。

大体、仏事として行ってるのは東アジアで広く見られる先祖崇拝である。それは本来の仏教と何ら関係ない。だからお経とかは、いつまで経っても日本語に翻訳されずサンスクリット語で読まれる。

こ こでの私の考えは「神道的な死に方を選べるように国が保証せよ」と言うものだ。国民的な集合墓地である。具体的には長野あたりを考えているのだが、そこの 国有林1つを国民集合墓地にする。日本国民で希望する者は全てここに骨が集められる。と言ってもガラス瓶に骨のかけらと識別ノートを入れて保管するだけな のだが。

これにより何が改善されるのか?葬式と墓地の手配が大きく軽減される。何故かというと、最悪の場合、国が葬式に相当する行為をやってくれるという安心感があるなら、戒名を手配とかお金を使い、余計な心配をする必要がない。

墓地は不動産である。綺麗な墓地は見て楽しい。だが、同じ不動産であるなら生きてる人々が活用したほうが良い。巨大墓地を日本国内に作り、磨き込んだ御影石の墓石を立てるには相当なお金がかかる。それは妥当な出費なのだろうか?

引用

http://socratesplaza.com/archives/2695

為替相場とお墓について、説明します。

現 在では、お墓の90%以上が中国等から海上輸送により、日本国内に輸入されています。 中国の各墓石メーカーと国内の各石材商社との取引は、大半がドル建てで行われており、ドル(円)の乱高下は、墓石の製品価格に少なからず影響を与えます。 では、実際にどれくらい影響があり、消費者はどのような対応をすればいいのかを考えます。

引用終わり

上のサイト主張を信じるなら、日本は外貨ドルを使い墓石を輸入している。原油とか牛肉は生きていくために必要だから輸入するのもしかたない。だが墓石を輸入するくらいなら別のことに外貨を使うべきでは?

ここでの私の主張は簡単だ。

神道的な簡素な死に方を選ぶ権利を日本国民が選ぶことを政府が保証せよ

というものだ。何故、神道に則り(のっとり)死を選ぶことができないのか?できない時点で宗教の自由が欠けているのでは無いだろうか?