バブルの新解釈
2013.04.07

株式は大きく内需株と輸出株に分かれる。ところが日本のバブル期には全ての株が買われた。これを単に「バブルだったから」とせずに、別解釈をしようというのが今回の文章である。

私 は1989年頃、株をやってなかった。だが会社の同僚はやっていた。朝、会社に向かうなり受話器を取り上げ「NTT買い、成り行きで」とか怒鳴っていた。 本来なら、これは異常な行為として注意されるはずだった。だが、注意するはずの上司は所沢に持ってる自宅の地価が上がることに満悦しており、地価公示が出 るたびに歓声をあげた。

この点に関して朝日新聞社が特に異常ということはなく、他の会社でも似たようなものだった。ちなみに、この頃、朝 日新聞資産運用セミナーを担当していた私は現在、民主党党首をされている海江田万里氏に講演の打診をしたことがある。結局、田原総一郎氏に落ち着いた。こ の資産運用セミナーとは何かというとワンルーム・マンションに投資しようと言うものだった。だが海江田氏が推薦していたのは異なる物件だったようだ。

で、何故、日本のバブル期に内需株だけでなく輸出株も買われたかである。株をやってる同僚に言わせると「日本を買ってるんじゃない、アジアの成長を買ってるんだ」。そうかな?

日本のバブルがプラザ合意からはじまったというのは定説だ。

引用

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2801791.html

プラザ合意の後にバブルになった訳は?
 
質問者:marikodesuka投稿日時:2007/03/04 13:13.

今 朝の日経の記事にプラザ合意について触れられていたのですが、そこで指摘されていたのが、この合意後に日本はバブルになったという点です。プラザ合意後は ご存知の通り円高に進んだ訳ですが、円高というと輸入品が安く買えるということですよね?その他どういった原因でバブルになったのですか?株式や為替との 関係がいまひとつわかりません

回答者:jamesnory_ooq回答日時:2011/08/13 20:43.

プラザ合意後にバブルになった背景に次のような出来事がありました。

<「金余り→貸込」の構図>
貯蓄過剰・適切な運用先の不足・金利低下 →運用圧力 →無理な運用 →行き過ぎた投機
運用圧力の源泉:
(1)マネーイリュージョン
(2)運用利回り低下→急には下げられないものの存在:人件費率・物件費率・確定給付〇〇・・

<日本のバブル時の金余り>
(貿易黒字、大企業の銀行離れ、金融自由化への危機感があり、そして急激な円高が起きた)
☆預貸率が低下する危機感/円高パニックで外債が毒リンゴ化/余資運用難
→ 猛烈な融資拡大
→ 融資はかなり預金に戻る+貿易黒字/所得向上/円増加諸要因等で更に預金が増加
→ 猛烈な融資拡大 <repeat>
☆地価上昇 →早い投資ほど大きなゲイン →担保価値up →益々借入可能
→まだ上がっていない地域へ拡散 →値上り期待の伝播 <repeat>
☆あの会社は土地を持っている →こんなもんじゃない! →株価上昇 <repeat>
マネーサプライ増加 vs 物価安定 → 「貸込・投機」のポンプで金余りが土地.株に集積した
プラザ合意後の円高で外債運用減少・解約が発生、円高対策等と相まって金余りに拍車がかかった。(信用創造×少数取引が相場形成=元は想像より少ない金余りが想像を絶する地価総額に繋がった)

引用終わり

バブルというのは多層的な現象であり、簡単に説明できる人はいない。ここでの私の疑問は

1.プラザ合意で円が強くなった
2.強くなった円で原油や小麦、大豆などを安く買えるようになった
3.本来であれば、円高は輸出産業を直撃するはずだ
4.だが現実には内需系も輸出系も買われた
5.理由として考えられるのは日本製品神話が根強く、輸出製品の競争力が落ちるまでに数年かかった
6.あるいは日本の替わりになりうる国/地域が存在しなかった

実 際には中国が日本の代替国となった。ここに実は冷戦の終わりが関係しているのでは無いだろうか?中国は現時点でも共産党独裁国家である。本来、日常品製造 を委託できる国ではない。実際、冷戦時代はできなかった。冷戦が終わり、ソ連が解体することで、中国に委託するリスクが軽減した。

プラザ 合意により、日本円の購買力は即座に増した。他方で輸出産業も「日本神話」に支えられ、業績が落ちなかった。この輸入と輸出両方で日本が競争力を持ってい た時期に、ある種の多幸感(ユーフォリア)が生まれ、日本無敵神話=バブルを生み出したと私は考えるのだ。意外と、ここらが真実ではないか?