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スムーズ・ジャズは危険な音楽か? 2013.05.11
私が書いた初期の文章で割とみんなの共感を呼んでいるのは下の「何故、ジャズはメタルより危険か?」と言うものだ。
引用
http://www.afrobossa.sakura.ne.jp/view/view002.html ジャズがメタルより危険な理由
か
つて小泉氏が総理であった頃、自分がX−JAPANのファンであると明かされた。だが否定的な反応はほとんど無かったように私は記憶している。X−
JAPANの代わりにメタル音楽のグループ、メタリカやメガデスを挙げてもやはりメディアや国民の反発は無かっただろうと思う。つまり私が見るところ、風
変わりな衣装やステージング、攻撃的な演奏や歌詞にも関わらずメタルを含むロックというのは「社会的に安全な音楽」と見なされているように思える。
一方でジャズ演奏者やリスナーは一般には知的な人々とされるが、その割には社会から嫌われているようだ。例えば地方博などに行く。そこで流される音楽がジャズ中心ということはない。国の行事でも良いのだが、何故かジャズだけはあわないような気がする。
ク
ラシック、ロック、メタル、カントリー、演歌、Jポップ、こうした音楽は政府、社会、民衆に受け入れられているがジャズだけは仲間外れにされ、不当に低い
「社会的評価」を受けているように思える。ジャズを演奏する人や聴く人はジャズのアドリブ芸術としての高度さが原因と考えているようだが本当にそうだろう
か?
私はジャズが民衆に受け入れられないのはジャズがブルースを基礎としているからだと思う。私が考えるジャズはブルーな音空間を創り、
その中で演奏を展開する音楽だ。アドリブ内容以前の前提として「ブルーな音空間」というものがある。ところでブルーな気持ちは誰でも日常的に感じるが、他
人と共有したい気持ちではない。むしろ私的な時空間のなかで静かに楽しみたい性質を持っている
引用終わり
要するに私の主張は
1.感情には組織で共有できる感情とできない感情がある
2.クラシックが表現する感情は怒り、悲しみ、喜びなど組織で共有できるものだ
3.対してジャズやブルースで表現される「ブルー」という感情は組織が共有することを拒む性格を持っている
4.結果として、ジャズ演奏家は優れた技術を持っているにも関わらず、その音楽性が正当に評価されない
5.何故なら、音楽性を評価する人々がアンチ・ジャズ陣営から出されているからだ
6.例えば東京芸大の教授である。例えばAKB48のプロデューサーである
7.こうした「音楽界の重鎮」はブルーな感情を音楽で表現することに最初から価値を認めていない
8.従って、演奏技術に関係なくジャズは常に組織/システムにより最低評価される
9.何故なら、ブルーという感情は組織を排して「個人空間を確保する」という傾向を持っているからだ
10.そうしたジャズの矛盾に気がついたのがスムーズ・ジャズ演奏者だ
11.古くはジョージ・ベンソン、ドナルド・バードに始まるのだが、彼らは「適度にブルーな表現を薄めることで大衆にアピールし音楽を売ろうぜ」という運動を始めた。これは成功した
長々と書いてきた。私の制作している音楽のほとんどはスムーズ・ジャズかボサノバである。これは「弾圧すべき音楽」なのだろうか?
それとも「私が音楽制作と発表で弾圧されている」というのは被害妄想なのだろうか?
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